オーストリア戦役-Deep breath at the wheel of Donau side-|サイフォンが放つ一人プレイ型タブレットウォーゲーム
オーストリア戦役‐Deep breath at the wheel of Donau side‐ ソロアプ‐solo app‐
オーストリア戦役

( ゲームデザイン:谷村勝一郎 )

オーストリア戦役ってどんなゲーム?

 1806~1807年のドイツポーランド戦役に勝利したナポレオンは、この後、ポルトガル・スペインで繰り広げられる半島戦争にその労力を奪われます。この隙を突いて、再びオーストリアが動き出しました。バイエルンへ進軍した他、フランスの影響下のワルシャワ公国、イタリアへも進軍します。
 こうして繰り広げられた戦いが1809年のオーストリア戦役です。バイエルンへ侵攻したオーストリア軍を率いていたのはカール大公でした。彼はナポレオンやフランス軍を研究しており、巧みに戦い続けてフランス軍を苦しめます。その結果、フランス軍は勝利するものの有能な元帥を失うなど、大きな痛出を被りました。
 こうした欧州の大国同士、フランスvsオーストリアの戦いをナポレオンシリーズとして展開します。会戦のモチーフとしては、「エックミュールの戦い」「アスペルン・エスリンクの戦い」「ワグラムの戦い」等を取り扱う予定です。


【収録内容】(※予定ですので変更する場合があります)
  • エックミュールの戦い(チュートリアルシナリオ)
  • アスペルン・エスリンクの戦い
  • ワグラムの戦い(先行配信シナリオ)
  • バイエルン戦役
  • オーストリア戦役
  • 皇帝陛下万歳1809(仮称)

オーストリア戦役とは

オーストリア戦役

半島戦争の勃発:ポルトガル・スペインへの介入

 ドイツポーランド戦役でプロイセン軍とロシア軍に勝利したナポレオンは、ポルトガルへ侵攻する。大陸封鎖令を強化する為、イギリスと貿易を続けるポルトガルへの制裁であった。この時、当初はフランスに好意的だったスペインも、ナポレオンが政治介入し出すと次第に反目。各地でフランスに対する暴動が勃発し、不毛な消耗戦となる。
 こうして、当初こそ順調に進んでいたポルトガルへの侵攻だったが、スペインの離反とその後のイギリス軍の上陸によって次第に泥沼化。フランス軍の主力を絶えず投入し続けなければならなくなり、その影響で後の「ロシア戦役(1812年)」において主力を投じる事が出来ず、ナポレオンはこの半島戦争を「スペインの潰瘍」と表現した。

オーストリアの参戦:第五次対仏大同盟の結成

 こうしたフランスの状況から、オーストリアは前年に敗北したプロイセンとロシア抜きでイギリス、スペイン等と共に1809年4月に第五次対仏大同盟を結成。フランスとの対決姿勢を明確にした。オーストリアは軍を編成し、バイエルン、ワルシャワ公国(ポーランド)、北イタリアへ侵攻を開始する。
 そしてオーストリア軍は1805年の戦いと同様に、バイエルンでフランス軍と衝突を始めた。オーストリア軍を率いていたのは、オーストリア帝国皇帝フランツⅠ世の弟であるカール大公。フランス軍を任されていたのは、参謀として活躍していたベルティエ。だが、ベルティエは当初の行動で失態を続けてしまい、ナポレオンが急行する事態となったのであった。

オーストリア戦役:ナポレオンvsカール大公

 カール大公の巧みな作戦により、防戦一方のフランス軍ではあったものの、ナポレオンが戦場に到着した事により状況は一転。1809年4月のエックミュールの戦いにおいて、フランス軍は勝利する。こうしてバイエルンでの一連の戦いが終わり、次の戦場はオーストリアの首都ウィーン近郊へ移っていく。
 1809年5月、ナポレオンはウィーン近郊のアスペルン・エスリンクの戦いで敗北する。この時、ランヌ元帥が戦死してしまうなど大きな痛手を負うものの、7月のワグラムの戦いには勝利。前年のプロイセンに勝利した事と合わせて欧州の支配者となったナポレオンは、オーストリアの皇女を娶る事で婚姻関係を築き、この後のオーストリアはフランス寄りの勢力となるのであった。

ドイツの制圧:ナポレオンの絶頂期

 プロイセン、オーストリアと立て続けに勝利したこの時のナポレオンは、まさに人生の絶頂期だったと言える。半島戦争に問題は残されていたものの、千年帝国・神聖ローマ帝国を解体し、軍事強国プロイセンを下し、大国オーストリアを陣営に加えたからだ。また、その他のドイツ諸侯もフランス陣営であり、ここにフランスとドイツ、イタリアをも合わせ持つ、ローマ帝国の再現とも言える状態を築く。
 だが、未だ半島戦争は終わりが見えず、フランス兵はそちらにとられていた。そんな中、ドイツ諸侯とイタリアの兵だけでもロシアと戦える状態にあった事が、後にロシア戦役へ踏み切るひとつの要因となった。
 しかし、光があるところには必ず影があるように、この絶頂期にも次第に影が差し始める。ロシア戦役に敗北した事で、ドイツ諸侯は雪崩を打って次々にナポレオンを見切っていったのである。

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