リサーチノート
地域制圧主体では源平の戦いにならない
取り上げるのが見慣れない題材であればあるほど、考証とリサーチの守備範囲は広くなる。ゲームの基本的な枠組みを、史実それ自体から切り出してこなければならないからだ。では源平の戦いの、源平の戦いらしさとはどこにあるのだろうか? ある程度の予備知識を踏まえつつ、あらためて史料や研究書を読み込むなかで、重要だと考えたポイントは以下のとおりである。
- 各地に分布する、独立した武装勢力としての武士団
- 誰の味方をするかは、武士団側が独自の意思と利害で決める
- 多くの武士団は、状況次第でころころと去就を変える
- 戦闘は、互いに味方の武士団を集めた軍勢同士の決戦型であって、地域制圧型ではない
- 揃えられた軍勢は、敵の軍勢とぶつかるまでほとんど制約を受けることなく進撃を続ける
- 軍勢が通過する地域は、一時的にその軍勢の強い影響下に置かれ、そこにいる武士団が次々と加わって、軍勢が膨らんでいく
- 決戦の勝敗が世間での評判に大きく影響し、結果として武士団の去就にも影響を与える
イメージがある程度固まった段階であらためて考えてみると、そんな中世社会特有の法則で組まれた戦争ゲームはほぼ皆無である。中世社会を扱ったゲームそのものは多いというのに。強いて挙げるなら、アメリカ独立戦争を扱った戦略級ボードゲーム『We the People』(最新版は『Washington's War』)に、道具立ての一部が似ているくらいか。
初期の打ち合わせでは上述のようなポイントを踏まえつつ、源平の戦いについて広汎に話し合い、システムの根幹を決めていった。プレイの核が「土地を手に入れる」ことでなく「人を巻き込む、味方につける」ことであるという認識が、スタッフの間で共有されるまでのやりとりは、いま思うとたいへん興味深いプロセスだったかもしれない。発案者たる自分ですら、既存の陣取りとどこがどう違ってくるかを完全に把握できていたわけではない。先達がどこかで作ったアイデア、つまり一度固まったドグマから、自由な立場で思考することは、それがたとえシンプルな内容であっても、なかなかに難しいものなのだ。
歴史人口学に学ぶ量的バランス
さて、考証とリサーチを依頼される以上、日本地図の上に置く武士団の内訳については私の領分になる。だが、梶原だの畠山だのといった実名の話に入る前に、踏まえておくべき枠組みがあると考えた。それは、ゲームで扱う年代における日本の総人口と人口分布である。
我が国における歴史人口学は、1970年代にヨーロッパから社会史の手法を移入することで始まり、近年は各時代にわたって興味深い成果を挙げている。いまから前近代のゲームを作るなら、これを応用しない手はない。『源平争乱』における国ごとの武士団数比や、武士団が連れてくる兵(武士)の数は基本的に、鬼頭 宏氏が試算した1150年の人口分布を基礎に計算している。ちなみにこの当時の推定総人口は680万人弱で、現在の20分の1ほどだ。ゲームシステムが最終的に弾き出す結果はさておき、ベースの部分では比較的ゆがみの少ない数字を用意できたと思っている。
士気・奇襲効果・包囲不安
開発サイドの相談に応える形で大枠を提案した事柄といえば、合戦のあり方である。士気と敗走で勝敗が決まる点は、前近代の戦争の大前提であるとして、問題は「どうして平氏の大軍が、ああも簡単に負けたのか」である。平氏軍が無理に動員した駆武者(かりむしゃ)や、兵士役(ひょうじやく)で各地の荘園公領からかき集めた素人を多数含んでいたから、という見方は、近年の研究でとみに疑問視されている(例えば駆武者が多かったのは、源氏側も同様である)。また、斎藤実盛が富士川の合戦を前にして語ったという東国と西国の武士の話などは、あまりにも平家物語史観、平氏滅亡予定説が過ぎるというべきだろう。そもそも斎藤実盛は、富士川の合戦に随行していないのであるし。
というわけで、平氏=弱体という講談モノ的構図を排除する前提で合戦のあり方を考えた。ではどういう条件で、少数の兵が多数の敵を追い散らしたのか? 想定外の位置に現れる敵が、今日想像するよりずっと大きな奇襲効果を発揮し得たのではないだろうか。
部隊編成やコマンド&コントロールの面で、源平の武士達を近代軍隊のように考えてはいけない。各自の担当正面の戦況情報は共有されず、ひとたびパニックに陥ったら収拾がつかない寄せ集め集団。後三年の役以来100年ぶりに、ぶっつけ本番で組織された大軍勢の実態は、そのようなものだろうと推測している。
データとシステムの背景にある史料解釈
ゲーム内のデータやシステムの優先順位を決めるときにはしばしば、複数の史料を解釈して、史実で何がどうなったかを判断する必要が出てくる。便利な確定事実のリストが、あらかじめどこかに存在するわけではない。これについては実像の追求を原則に(逆に言えば『平家物語』の物語性を存分に活かす方向でもゲームデザインは可能だ)『吾妻鏡』と『平家物語』諸本、とくに最古の「延慶本」で大枠を見据えつつ、個別の判断では同時代の貴族の日記を最優先するという、定石通りの手法をとった。
ただし、登場する武士達の名前については考え方が逆で、こちらは『平家物語』などで人口に膾炙している呼び方を優先した。例えば『吾妻鏡』で源 義経は、謀叛人となってから「義行(よしゆき)」次いで「義顕(よしあき)」と呼び変えられている。これらはきちんと朝廷で議論された結果なのだが、さすがにこうした個別の文脈を尊重しても、話がややこしくなるばかりなので、あえて考慮していない。
考証が先か、システムが先か?
考証とリサーチについてまとめるならば、「出来合いの箱に人や社会をブツ切りにして詰め込む」のではなく、「人や社会に合わせて箱のサイズや数を決める」という考え方を目指したつもりだ。これで完璧などとはとても言えないが、地道なアップデートで少しでも、プレイヤーのみなさんが満足する源平の戦いに、近づけていけたらと思う。
(白浜わたる)