デザインコンセプト
作品コンセプト
-チェンジとチャレンジ-
『源平争乱~将軍への道~』の始まりは、戦ノ国より早いスタートであった。それはSi-phon最初の作品『空母決戦~米英への挑戦状~』の発売前であり、今から三年近く前の事である。「戦国に飽きた」「源平がやりたい」という声や思いからの企画だった。しかしながら戦国の方が良いとの声が、経験豊富な開発陣からも強く、結局の所、『戦ノ国~もののふ絵巻~』の開発が先となる。
この「戦ノ国」の発売が遅れに遅れた為、今回の「源平争乱」の発売と近くなってしまったのであるが、元からの年間スケジュールにて「毎年春に新作」としていたので、実は工程表にのったものである。
戦ノ国に関しては、新たにスタッフを採用し、広報体制を組み立てている過程であった事や、『空母決戦Ver2.0~日本機動部隊の戦い~』など空母決戦一連の作品の発売時期と重なった為、空母決戦の時ほど制作の会議に出席できなかった。その反省から、今回の源平争乱では特に最初のイメージを固める段階で、広報スタッフも同行させ出席した。
連日、10時間ほどの会議が数日続く事もあったのだが、この場で固めたのは「明るい源平」と「源平時代らしいゲーム」であり、これまでの作り方からのチェンジと、新しいジャンルへのチャレンジである。
-錦を飾る明るい源平-
弊社のゲームは「画面の色調が暗い」とよく言われる。シミュレーションゲームの場合、長時間モニタを見つめる事が多く、目が疲れないようにとの配慮もあるのであるが、これがゲームのイメージにプラスになっていないと指摘されていた。昔の様に作れば売れる時代の気分で作っていても売れない、そうした類の指摘である。その他にも、特にアートワークにおいて多くの指摘を頂いた事を、できるだけ反映していこうというスタートとなる。
こと源平時代となると、戦国時代より話題性も少なく情報量も乏しい。格別に源平が好きでないと、本なども読み漁らないであろう。案の定、最初に上がってきたサンプル画像も、平家物語や耳なし法一の影響が強いのか、ドロドロとした暗いイメージであった。流石にこれはマズいと思い、広報スタッフにてイメージの配色画を作らせる事となった。
* 広報スタッフで制作した配色イメージ(Si-phonGameClubVol.4より)
まず頼んだのは「赤・青・黄」の使い方を「朱・紫・金」に変えてくれ。という無茶なもの。派手やかな雰囲気を出せないと、気持ちよくプレイしてもらう事は難しい。こちらとしては、仏教的視点から見た無常観を表現したり、耳をそぎ落とすゲームを作りたいのではない。そういうものは、また別の会社にまかせておけば良いのである。平安末期の源平時代に錦を飾る、そうした気分を味わってもらうゲームを提供したい。この思いからのスタートなのだ。
*錦を飾る明るい源平のイメージ画(Si-phonGameClubVol.4より)
明るいという表現には、単に画面の明るさだけでなく、時代に錦を飾るといった逆境から盛り返す爽快感や、巨大な敵へ立ち向かう漢心を満喫するといったものも含まれる。全員同じシステムに乗っかり、団栗の背比べみたいな状況でプレイして勝つ事だけを目的とするより、例えその場で勝てなくても、次に繋がったり歴史に対してどうだったのかという、シミュレーションゲームが本来持っていた価値観を持ち込みたかった。
-源平時代らしさの表現-
源平時代のPCシミュレーションゲームというと、20年以上昔に出た光栄さんの『源平合戦』くらいしか記憶に無い。あれはあれで、面白い陣取りゲームとしてプレイさせて貰った。当時はまだフロッピーディスクであった為、何枚ものディスクを入れ替え差し替えしながらプレイしたものである。
ただ残念なのは国取りゲーム形式であった事が、源平時代のイメージとかけ離れていた点であった。あれから20年以上経つが続編も出ない。もしかしたら探しまくればあるのかも知れないが、他社の作品も見かけない。という事は、これからも出る可能性は低いだろう。そうであるなら、源平時代らしさを取り込んだゲームを作ってみよう。自然とそうした雰囲気へ繋がっていった。
まずは中世の武士団について。もし忠誠度という概念があったとしても、それは金で買えるものなのだろうか。少なからず当時の武士団が支持は、自分達の土地の所有権を認めてもらう相手に対してである。この事は武士団だけに限らず、荘園という存在はそうして出来たものなのだ。という事は、勢力の主が金で忠誠度を買うのは変である。その土地を開拓した武士団などが、納める物は納めてでも、土地の所有権を認めてもらえる相手を支持する、という概念と相対してしまうからだ。現代社会の賃金と労働力とで繋がっている様な、使用者と労務者の関係とは異なる。
こうした事を再現する為に、各地の武士団はどの勢力を支持するのか決定するシステムを作り上げた。これはランダムで決定するのではなく、勢力の勢い、歴史上の繋がり、血筋や国主としての正統性、などの要素から随時決定し、世の中の流れに連動した流動性を持たせた。また支持しているからといって、合戦に参加してくれるかというと、これまた必ず参加という事にはしていない。合戦が続いたり、合戦に正当性がなかったり、距離が遠いと参加しない事もある。また参加してくれても士気が低かったり、兵が少なかったりする。逆にいうと、こうした非常にゲンキンな集団に支持される行動を取らないと、勢力は拡大できないのである。
また当時は行政期間としての国衙(こくが)が機能していた。国衙が消滅していくのは、ずっと後の時代、室町時代になってからの事である。つまり当時は、武士が勝手に国を取る事は出来ない。国衙を掌握するには、その国の武士団の過半数の支持が必要だ。これらの事を再現する為に、過半数の支持を得られると国衙が掌握できた事となり、動員できる兵数が増える。また朝廷から知行国と認められると、正当な国主という事で更に動員できるようになる。
その他、合戦に関しては直接細かい指示が出せない点や、後方遮断による士気の崩壊、退却武士団が発生すると士気低下が連鎖するなど、この時代の合戦を表現するシステムを組み込んでいる。兵数がゼロになるより、士気が崩壊して退却する点も重視した。
*合戦で優位に展開できる義仲は支持を失わない様に注意すれば楽に進められるだろう
-業界への挑戦-
売れる=強いジャンルのゲームだけ作り、計算しやすいその続編を作る。こうした流れが固定化したのは何時からだろうか。女々しき経営手法とも言えるこんな路線の結果は、結局の所マンネリ化と肥大化をもたらし、当然ながらユーザーも減り市場は冷め、作り手も居ない市場となった。一方で残ってくれているユーザーは、コアなユーザーが増え、要求するレベルも上がり敷居も高くなる。
国取り形式ではないシミュレーションゲームという事で、少しは不安もあったのだが、ただでさえ弱いと言われている源平とシミュレーションとの組み合わせである。今でも残ってくれているコアなファンからしてみると、こうした敷居はクリアできるのではないか。むしろ、そうした新しいシステムに挑めるだけの技量は、十分持ち合わせてくれているのではないか。そうした期待もあり、折角の機会でもあったので「源平時代を真面目に再現する事」への挑戦を決定した。
ただ歴史上、わずか5年の戦いという事で、なるべく単調に展開しない様、大きく3つの流れを設けた。戦ノ国の時にできなかった反省点からである。
序盤は勢力を拡大する為の展開。中盤は平家打倒の主軸となっていく展開。終盤は他の全て勢力から認めて貰う為の展開。こうした流れを設けるために、あの後白河法皇にも一役かって貰った。
『源平争乱』はこうした経緯で作られた。次に続く所が出て来るのかは分からないが、アナログボードゲームでは2011年中の作品が幾つか予定されている。できれば他社さんにも、もっと盛り上げて欲しいジャンルなのだが、弊社も今回の製品をテコに色んなジャンルへ展開を広げ、シミュレーションゲームファンを取り戻していきたいと思う。
(2011年5月16日 サイフォン代表 谷村勝一郎)
-シナリオ追加キャンペーン-
発売から4ヶ月ほど経過して、シナリオを追加できるキャンペーンを実施する事となった。
ユーザーが望んでいたボリュームのアップに加えて、平家でのプレイを可能とするものである。
平家プレイを当初のシナリオで外していたのは、やはりゲームにならない程、楽であったからである。
史実では、富士川の合戦で大敗する訳だが、その後の墨俣川の合戦では勝利を続けている。その後の、越中での戦いでも良い勝負を続けているし、水島、室山の戦いでも勝利を続け、別に平家が弱いという印象は出てこない。源平の戦いは、強い源氏と弱い平家という構造ではないのだ。
だが、平家でプレイしたいという願望は、当然出てくる。それには答えなくてはいけない。という事で、平家の再起を目指して、水島合戦の頃よりスタートするものを企画した。
ところが、やはり平家は強い。AI同士だと調整できるものの、プレイヤーが担当すると、手応え感なく温く感じてしまうシナリオとなりそうであった。
よって、時期をずらして、その後の法住寺合戦後とした。この時期からのスタートであるなら、苦境の義仲でのプレイも楽しめるからだ。
この頃の義仲は、後白河法皇を幽閉するほど切迫していたし、仲間割れも起していた。そして頼朝軍も近づいてきている。
平家で反撃する楽しみ。義仲で生き延びる苦しみ。頼朝で勝たなければならないプレッシャー。最後に開放される藤原では、歴史を眺めるようにプレイできる。山本義経など、史実さながらのゲリラ戦を続ける事になるだろう。
新宮行家なら、一度は隙をついて上洛できれば上等である。
こうしたプレイ感を通じて、この時代の歴史を調べる手がかりになれば、それはそれで、源平時代のゲームを出した意義にも通じると言えるだろう。
こうした活動は今後も続けていきたい。