ワーテルロー戦役‐The Days at Emperor's Last Campaign‐|サイフォンが放つ一人プレイ型タブレットウォーゲーム
ワーテルロー戦役‐The Days at Emperor's Last Campaign‐ ソロアプ‐solo app‐
ワーテルロー戦役‐The Days at Emperor's Last Campaign‐

( ゲームデザイン:谷村勝一郎 )

※画像は開発中のものです。製品版では改善の為、修正される場合があります。

(仮称)ワーテルロー戦役ってどんなゲーム?

 1815年、フランス皇帝へ返り咲いたナポレオンは、現在のベルギーの首都ブリュッセルの南に位置するワーテルローにて、イギリス・プロイセン連合軍と戦いました。一般に「ワーテルローの戦い」と呼ばれる一連の戦いをキャンペーン形式のシステムで再現します。
ゲームにおいてプレイヤーはフランス軍を指揮し、前哨戦となる「リニー」「カトルブラ」の戦いから、本戦となる「ワーテルロー」の戦いへ続きますが、別動隊が向かっていた「ワーヴル」の動向次第で、本戦への影響が生じるかもしれません。ゲームの詳細は追って発表して参ります。

ナポレオンシリーズってどんなシリーズ?

 ヘクスを用いたマップと、ダイスとユニットを用いた基幹システムで、両陣営が移動・戦闘を行う「こまあぷシステム」を基幹ルールとし、これをナポレオン時代の戦闘に合わせて改修を加えてシリーズ共通のルールとするものです。
まず最初にダイスを振って手番順位を決めますが、目の大きい方が先攻として2行動、小さい方が後攻で1行動を取ります。これが従来から大幅に変更された点となります。
また強ZOCと呼ばれる敵に隣接すると移動停止、隣接している敵と強制戦闘といったルールを用います。戦闘後は混乱する場合もあり、この場合は混乱が回復するまで移動できません。また同一軍団に所属するユニットが戦闘に参加した場合、戦闘が有利になります。

※こまあぷ「アウステルリッツの戦い」より転載。本編では若干変更する場合がございます。

ワーテルローの戦いとは

ワーテルロー戦役

帰還:ナポレオンの復位

 1814年のフランス戦役で敗北したナポレオンは失脚。トスカーナ諸島の小島に押し込めらる。この間、フランスでは王政復古を果たすものの、国内の不満はくすぶり続けた。そして遂に1815年2月にナポレオンは小島を脱出、3月にパリへ帰還して皇帝の座へ復位する。その後急速に軍の再編を進めるフランスに対して、イギリスやプロイセンは反発。ブリュッセルへ軍を進める事となる。

前哨戦:リニーとカトルブラの戦い

 フランス軍は、ネイ元帥率いる左翼軍、グルーシー元帥率いる右翼軍、そしてナポレオン率いる予備軍でベルギーへ侵攻し、プロイセン軍をリニーの戦いで撃破、北方のワーヴルへ退却させた。この間、左翼軍のネイ元帥がイギリス軍とカトルブラで戦闘し、これも北方のワーテルローへ退却させた。こうしてフランス軍は合流して北進。右翼軍のグルーシー元帥には、プロイセン軍を追撃させた。

最終決戦:ワーテルローの戦い

 イギリス軍はワーテルローの南に布陣し、フランス軍を迎え撃つ事にした。フランス軍はネイ元帥を中心に攻撃を加えるものの、敵を崩す迄に至らなかった。そうしている内に、ワーヴルより到着したプロイセンの援軍に側面を突かれ、戦線が崩れ敗北した。プロイセン軍の追撃に向かったグルーシー元帥の軍が、ワーテルローの戦いに参加できなかった事と、プロイセンの援軍がナポレオンの予想より早かった事がフランスの敗因となる。

戦後:セントヘレナ島

 ワーテルローでの敗戦後、ナポレオンはパリへ戻って残された軍を立て直し、反撃を試みようとするものの、離脱者が続出。二度目となる皇帝を退位して投降した。そしてナポレオンは大西洋の孤島セントヘレナ島へ流され、1821年にその島で没する。こうしてフランスでは再び王政復古を果たすものの、1851年、ナポレオン3世の登場により再び共和制へ移行した。