ディベロッパーズノート
ここでは『信玄上洛~武田の御旗を打ち立てよ~』の制作ポリシー、機能のご紹介などを綴りたい。
戦国観の構築
シリーズ名もタイトル名も無い頃からのスタートであったが、ゲームのシステムを構築する前に、戦国観を構築する必要があった。その中で、明確に打ち出す事は二点に絞った。戦国大名の立ち位置と、戦力の概念である。
戦国大名に関しては、在地武士団の土地の承認者とした。その延長がエリアの掌握者である、という考えからである。
戦力の概念に関しては、エリアの中の在地武士団を現している。そしてエリアを掌握する事は、彼らを掌握できている事とした。これはユニットのステップでも表現している。
武将に関しては、大名が派遣した在地武士団の管理者とした。異論は出そうだがそう収めた。よって最初は一族のみであり、臣従大名との区別もあったが、処理が煩雑になったので現在の形となる。
そのエリアから他の戦力ユニットを排除すると、そのエリアを制圧する。だがこの段階では、在地武士団を完全には掌握できていない。完全に掌握するには、彼らをユニットとして生産する事で、掌握度を増していく形を取った。そして完全に掌握する事で戦力となり、他エリアへの合戦へ転戦できる状態とした。
この掌握度は信用度でもある。合戦で被害を受けると信用度は減る。回復するには時間がかかる。そうした所を表現する事で、戦国という時代の支配権を表現する事にした。
また合戦は防御側有利とした。ゲームとして別にどちらでも良いのだが、このゲームでは防御側有利として、他のシステムとのバランスを取っていく事にした。
1ターンが2ヶ月という事もあり、長い戦いは攻撃側の不利となる様に、退却判定を取りいれた。また退却するという事は士気が低下する事が多い。追加被害を受ける可能性を取り入れ、大名へ対する在地武士団の信用度低下という表現と重ねた。加えて攻めたは良いが、大きな被害を受けてもそうなる様に、敗走判定も取り入れた。
兵科に関しては、戦国観とは別に、バランスと雰囲気という観点から取り入れているので、ここでは省力する。
ソリティアゲームとしての見せ方
Si-phonBoardGameシリーズとして最初に登場する事となった『信玄上洛』の制作は、ふたつの使命を帯びる事となる。ひとつは、ソリティアアナログゲームとして登場する事。そしてもう一つは、タブレット型端末への転用を目指せるものである事。
最も重要なのは前者であり、ユーザー側がゲームとして欲しいと思えるものである事である。後者はメーカー側の要望でしかない。後者の為に前者が犠牲になってはいけないし、もし犠牲になるなら、それに変わる何かと置き換わらないと、ユーザーから欲しいとは思わないだろう。
そうした使命から「ソリティアゲーム」として、何をどう見せるゲームであるべきかが最初の課題となる。メーカー側が、自分たちで出来る事をだけを乗っけただけでは、目の肥えたユーザーは見向きもしない。
そもそもシミュレーションゲームの楽しさとは何だろうか。知らない人が傍から見ると、チマチマとサイコロを振ってユニットを動かしニヤニヤする。理解しがたい行為に映る事だろう。
だがそのニヤニヤの中には、打ち立てられた戦略とそれを支える作戦があり、成功しては次の作戦に移り、失敗してはその打開策を講じる。この反復作業の中に各々のストーリーがあり、先への願望があり、歴史との対比がある。
だからこそシミュレーションゲームは面白いし、その面白さを知っているから手放せない趣味となっているのである。
では、その面白さを最大限生かすには、どうすれば良いのだろうか。
確実になくてはならないものは、史実性の再現とifの実現である。この幅が狭いなら、それはシミュレーション性が高いツールではあるが、ゲームとは言いがたい。ゲームであるなら、ifの可能性が実現可能なレベルに調整する必要がある。
しかしその達成レベルが低いと、これまたつまらないゲームとなる。
そんなこんなで、このゲームにはふたつの視点で展開できるように構成した。信玄視点での上洛戦を問うものと、勝頼視点での武田家運営での展開である。
前者は「西上作戦」前年の北条との戦いの意義や、上杉の存在感。それに対する信玄の対策を、盤面より感じて欲しいと願うものである。勝利条件として「上洛」とはしているが、瀬田を渡るとか、山科を超えられるとかは、実はどうでも良い。全方位敵という戦国の息吹を感じ取れるなら、そこからの巻き返しこそが、シミュレーションゲームとして面白いではないか。この場を提供できるようにした。
また後者の「武田家運営」では、ほぼ同じ戦力を率いている勝頼が、信玄時代との違いを体験できる必要がある。これを同じシステム、同じレートで仕込む必要性に迫られた。同じ「山県昌景」がシナリオでレートが違うなど有り得ない。レートを変更しなければいけないのなら、それはシステムが間違っている。
とは言え、自作シナリオ用ユニットの「武田晴信」と「松平元康」は、「武田信玄」「徳川家康」と違うレートのユニットを入れた。時代も違うし、これは勘弁していただきたい。
そう上記のふたつプラスワンとして、このゲームでは自作シナリオの支援も行う事とした。
そこからが更に歴史への興味が深まったり、ゲームとの相性のよさを感じ取ったりできると感じていたからである。
これは、これまでデジタルゲームで実現できなかった反省から、どうしても行いたかった点でもあった。
基本システムについて
前置きが長くなって申し訳ない。信玄上洛の基本システムは、とくかくコンパクトにまとめようとなった。シークエンスが複雑になると、重厚に見えるのだが、どうしてもルールブックを読んで終わるゲームに陥る可能性も出てくる。
そこで、【生産】→【移動】→【合戦】という簡単なフェイズ構成にしたのであるが、今度はどうしてもチープさが出てしまう。チープさを打開する為に、ルールが増えるとまた元に戻ってしまう。
基本的な路線として、プレイアビリティを優先したい気持ちもあり、シークエンスは上記のフェイズ構成を維持するとして、特に面倒な感じになっていた[合戦]フェイズをスリム化する事にした。
今回は戦略を練るという箇所へフォーカスしたいからでもあったが、「城」という要素をオプションルール化し、「追撃戦」を移動の一環として[移動]フェイズへ組み込んだ。
些細な事ではあるが、これだけでも随分とスリムに見える様になったのだ。このスリムに見えるという事は、ルールを覚える=プレイまで運ぶ上で、実はかなり重要な要素ではないかと思っている。
【生産】フェイズは、戦力ユニットを生産・補充したり、切り取ったエリアが増えると、武将ユニットを新たに登場できたりするフェイズである。ターンの先に置くか後に置くか悩んだが、後に置くとユーザー側が有利になりがちな状態が続いたので、先に置く事に決定した。あまり悩んでも時間の無駄なので、ここの決定は早い時期に確定できた。
【移動】フェイズは、大名や武将、戦力ユニットを合戦に備えて移動したり、補充の為に帰還するフェイズである。ここは一番スッキリしていたので、合戦時の追撃戦を組み込んだ。ひとつくらい要素が増えても、面倒な感じはでないだろうという甘えからの思いつきだったが、結果として良かったと思っている。同様に合戦場からの撤退という要素も、このフェイズに組み込んだ。
【合戦】フェイズは、最初から難題を抱えていた。
ソリティアなんだから複雑でも良いじゃないかという考えと、これは行動の結果なのだから、ここはあっさり済ませて、結果が良ければ次の作戦へ、駄目なら打開策を講ずる、というシミュレーションゲームの醍醐味を優先させたいという願望との選択であった。
結果、発生した戦果ステップに応じて退却に追い込む機能とそれに伴う二次移動を残し、自主的な退却やそれに伴う追撃戦は[移動]フェイズにまわした。また最期まで迷った「城」はオプション化した。
合戦時は「防御側・鉄/山」→「攻撃側」→「防御側・鉄/騎/槍」という順序で処理する。
防御側の鉄砲ユニットだけは二度射ちするので非常に強力である。特に序盤は雑賀衆の鉄砲隊のお陰で、信長勢力の伸張を抑える事に成功した。
その長島を織田が落とすには、浅井・朝倉を食う事により可能なバランスとし、その前に攻めても織田に陣代な被害が出るだけという史実性を持たせる事にした。
そうした長島が落ちると、今度は鉄砲隊の存在感が武田側の壁になる。鉄砲隊を有するエリアは比叡山、雑賀、堺和泉の三エリアにしているので武田は恩恵に預かれない。預かれる頃は勝利の目前であろう。そもそも敵に攻め込まれる状況になると、織田が強大に育っているはずなので巻き返しは厳しいものとなる。山岳ユニットの先制攻撃と、残戦力を集中させた機動防御戦で乗り切る可能性はあるが、領土の切り取りまでは困難な状態としたかった。
コンポーネント
ルールブックと解説書
ルールブックはA4サイズ4ページで収めたかった。A3の用紙1枚である。だが、実際に作ると8~10ページとなってしまった。フォントサイズも大きく、字間・行間も取った結果であったが、どうしてもこの点は変更したくなかった。よって凄い詰め方となる。
ユニットの説明で1ページ、戦果チャートで1ページ、とするとルールが2ページ。ルールを削れば可能であるが、既に削っているルールもある事で、これ以上は削りたくなかった。成せば成るもの。どうにか収める事ができたが、この作業だけで一週間以上を割く事になる。
別冊の解説書にはシナリオデータと特別ルール、それに関するディベロッパーズノートなどを盛り込んだ。基本ルールと分けたのには訳があり、ステップアップの部分をここに集中したかったからである。これは、昔、日本機動部隊をプレイした時の思い出から、空母戦の事など何も知らなかったのに吸収できた思い出から、今回、実行する事となる。
戦力チャート
信玄上洛は元がブラインドサーチ型の対戦ゲームであり、その改良ゲームの名残りとして、こうしたものが残っている。元のゲームは、相手の戦力を予測しつつ、侵攻戦力を編成するというものであった。ただシナリオを作成する時や、参戦判定エリアの指定などにも流用できたので、そのまま残す事となる。
当初、ひと組だけ入れる予定であったが、拡張ルールでブラインドサーチの対戦をご紹介する事となり、ふた組み入れる事となった。早めに入稿しなくてはならなくなったジャケットには、たまたま「2部(本来A/B一枚づつの意味)」としていたので、ふた組みでもいいやとなり、入れる事となる。
ジャケット
予定より半年早く世に出る事となった為、こうしたものが一番遅れてしまう事となった。
10月の4日に急遽決定し、10月7日にはサイトの一般公開。当然、その場には間に合わない。仮ロゴと仮絵で凌ぐ事となる。
発売日は12月9日としたが、その前、11月27日にイベント会場で先行発売が約束され、11月初めには印刷物の入稿を始めないと間に合わないのである。
イメージ絵は、ムック等でお付き合いのあった板倉宗春さんへ頼む事となるのであるが、急なお願いにも関わらず、なんとかスケジュールを調整していただき、間に合わせる事ができた。こちらの適当なイメージコンテにして、これまた迫力ある絵が出てきたので、今度はロゴが負けてしまい、印刷直前に書道の先生の所へ行き、これまた無茶なお願いをする事となる。
裏面に関しては、そうした待ち時間で仕上げる事となるが、今回特に関西方面からのアクセスが多く、これまで使ってきた「瀬田」という地名に加え、「山科」という地名を使う事となる。
「瀬田を渡り、山科を超え、京の都へ上洛せよ」というコピーは、こうして生まれた。
打ち抜きカウンター
今回初めての経験だっので、一番苦労したのがこれである。PPが良いのかニス仕上げが良いのか。一般の打ち抜きカウンターが良いのか、別のものが良いのか。はたまた、何所でやってもらえるのか。意外と難問であった。
アクリルカウンターもサンプルを頂いたのであるが、思ったより使い難く、また雀牌に印刷する事も検討したが、最初の事なので、無難に打ち抜きカウンターを採用する事となった。次からの課題でもある。
マップ
マップづくりも今回初めての経験であった。Photoshopを使おうとしたが、A2サイズでは全くスクロールできないという報告が入り、Illustratorをメインで使う事となる。
マップもコルクシートやアルミ版など検討したが、最初は無難に紙で行こうとなり、和紙のテクスチャを入れる事にした。色については、カウンターの大名勢力のイメージカウンターを先につくり、そのカウンター色と合うエリア色に決定する。
エリア割については最期まで修正が続き、担当者から怒られ続けた。
マッブのエリア割
この項は、制作ノートのページでほぼ語っているので、こちらではその補足という事で続けたい。●北陸エリア
飛騨という1戦力ユニットしか保持していないエリアのお陰で、この北陸エリアを完全に掌握する事は、かなりの戦力を上洛に集中できる事を意味する。制作ノートのページにも書いたが、古代の朝廷が警戒した越の民の動向、そして、実際に上洛を果たした木曾義仲の結果がそれを物語っている。
太閤検地を行った秀吉もこの事に気付いていたはずである。その為、前田利家を配置していたとも思われる。
その内、謙信上洛のシナリオでも作って、この事を試してみたいと思う。
●関東エリア
関東では、実際には繋がっているはずの上総や下野など、今回入らなかったエリアが存在し、北条も里見などと激しく抗争を行っていた。
これらの対策としても、1戦力ユニットをエリアに残すというルールが活きる。どうしてもエリア制圧型のゲームでは、隅っこの勢力が有利になりがちであり、本来、繋がりのあるエリアが切られている場合、そうしたゲームの性質から有利になるという事に憤りを感じている方も多いだろう。
上野と武蔵は石高も高く人口も多かったと考えられるので、東西に割った。一応というか、シナリオ以外の設定時期のテストで、武田・北条・上杉が入り乱れる戦いも成立したので、この割り方で決定したのである。
●甲信/木曾口エリア
甲斐の1エリアは早期に決まった。長引いたのは信濃の扱いである。2つにするか3つにするか。石高というベースで考えるなら、流石に3つは多い。しかもそれが武田の強さに反映してしまう。
とりあえず信濃を南北2つに割って、木曾という1戦力しか持たないエリアを作ってみた。飛騨と同じ扱いである。同様に、長篠と岩村というエリアも作り干渉地帯としてみた。
対戦するとそれらしく動きはするのであるが、飛騨や伊賀を攻めに行かないのと同じ問題が出る。攻めても意味の薄いエリアを攻める意義はあるのか。その為のロジック(進撃ルート)を入れる事は、ただの縛りになるのではないか。という問題である。
結果、3つの1戦力エリアは統合して2戦力を有する木曾口エリアとなる。実際の木曾、長篠、岩村の表現とは離れてしまうが、ゲームとしては正しいと判断した。
●東海/濃尾/伊勢エリア
今回、勝利条件を設定している全てのシナリオで、このエリアの掌握する事を優先させた。これには意味がある。
まず上洛し、その後も本国と京との間で威信を保つには、岐阜の掌握が必要であると感じていた。
岐阜というエリア名については、東美濃の一部も木曾口に合併しているので、西美濃よりはと思い岐阜とした。
その岐阜を掌握するには、東海道のエリアの制圧が必要だと考えているので、それを勝利条件に反映したのである。つまり、これらのエリアを制圧しているならば、岐阜の制圧も可能であろうという見込みも含んでいるのである。
信玄は上洛の過程で死んでしまったが、もし尾張までの制圧がなせされていたならば、勝頼の代で岐阜を制圧できた確率は高いという判断である。
この考えは、今川上洛のシナリオにも反映している。
伊勢は長島と分けているので、単独での存在意義が薄れてしまっているが、双方を制圧する事でその価値は浮かび上がる。信長を悩ませた長島も、ここが制圧されると話は変わる。信長の戦力が拡大し、武田が単独では手がつけられない程の勢力へ急成長する。
岐阜と長島の両エリアには、そうした重要な役割を与えている。そして尾張・三河・遠江・駿河は、その重要なエリアを制圧する為の役割とした。
●山城/近江/越前/若狭エリア
地味な存在と思われがちであるが、近江は意外と大国である。多くのゲームでも南北に分けている。
これは六角と浅井の存在がそうさせているのだろうが、それと別に、この時期の存在として、延暦寺の存在をどうするかという問題がある。
その為、山城と近江を4つに割った。山科地区から西近江あたりを1エリアとしたのである。当初、延暦寺エリアとしてみたが、どうしても信玄が上洛する時期のシナリオからは、延暦寺の存在が、焼き討ちされてしまった後なので外れてしまう。
試行錯誤の後に山科としてみたのだが、流石に山科には延暦寺ユニットは置きたくないと思うだろう。
そこで比叡山エリアとなった。延暦寺ユニットと時代を変えて使う事となり、当初、南近江に配置していた鉄砲隊も比叡山へ配置する事となった。
越前と若狭については若狭武田氏の扱いなど、いろいろと難しい問題はあったが、今回は朝倉の掌握下とし、若狭武田の扱いは外す事とした。
●その他エリア
大和に松永秀久を配置する関係で、摂津・堺和泉という2つのエリアを設置し、三好ユニットも含ませた。そのうち、信長でプレイできるシナリオを提供する事があれば、その時に活用してみたい。また本願寺についてはややこしくなるので、特別にエリアを設けた。
今回、1戦力して有しないエリアを設けた。伊賀と飛騨である。
1戦力を必ずエリアに残すルールを作ったので、これらのエリアを制圧しても転戦に運用出来ない。これはエリア制圧型のゲームで起こりがちな、実際にはあまり重要性の薄いエリアを保持する事で、それをバイパス代わりに用いて、優位に展開する事を防止する意味からである。
史実では信長が伊賀攻めを行ったが、これは長島攻めと違い、成り行き上、攻めないといけなくなったからと判断している。独断で攻めて失敗した信雄に怒ったのは、こうした無駄な行動を取らざるを得なくなったからだろう。
今回ご提供したシナリオにて、進撃ルートの順位から伊賀と飛騨を外しているのは、こうした理由である。
各勢力の取り扱い
武田をプレイヤが担当する事を前提として設計されている割に、スタート時から最強勢力として君臨しているこのゲームは、ある意味、異質といえば異質である。だがタイトルが『信玄上洛』であり、信長の野望ではなく、信長最大の危機でもなく、川中島でもないのだから仕方が無い。
武田家の拡張時代を切り取った場合には、ライバル勢力も小さくなってしまい、勢力差をつけるにはキャラ要素がより強くなる危険性があった。そこで武田は衰退へ、織田は成長へ、その他のフレーバー勢力はそれらしく、を基本路線として取り扱い方が決定する。
時間との戦いである上洛戦、織田の成長と対する武田家運営、この二軸をもってゲーム化を目指したのである。
武田家(信玄)
スタート時の武田は強い。これは優遇されたエリア割の恩恵もあるが、信玄の指揮値「3」というレートのお陰でもある。つまり合戦時も多くの武将を国もとに残せるので、合戦で生じた被害の補充も容易となる。
戦略面では、北や東へ勢力を伸ばすと、その分、織田も伸びるのであまり得な戦略とならない。西へ伸ばしても南の徳川が邪魔になる。結局、西の織田と南の徳川を両方一緒に退治するのが定石となるが、その他の戦略も当然楽しめる。
武田家(勝頼)
信玄時代以上の戦力を率いる確率が高いのだが、勝頼の指揮値レートが「1」の為、多くの武将を引き連れての合戦となる。その為、補充効率が悪くなり、合戦での損害のウェートが大きくなる。
戦略面では、長島が残っている内に、なんとか織田・徳川を撃破したい。信玄時代に徳川だけでも撃破していると随分楽である。解説書内の鬼畜策として、全方位敵とし、エリア中央に機動戦力を配置して、攻め寄せる敵へ機動防御戦を挑むというのも紹介してみた。
織田と徳川
テスト時に一番悩んだのが、織田の成長方法とスピードだった。延暦寺が残っている段階での機械的な成長が、ちょっと難しかったのである。しかも長島を攻めては被害を受ける、という事を再現していたので、その隙を突いて攻めると楽に勝てるという結果が多く、それを食い止めるにはルールが複雑になるというジレンマが発生した。
結果、セットアップ時の織田は比叡山を焼き討ちした後とし、浅井を落とすと朝倉も落ちやすく、そしたら長島も落とせる戦力になる様に調整した。
徳川の扱いが粗末に感じるかもしれないのだが、この時期の徳川はこんなものだろうという所で落ち着かせた。相手の突出面を横から突けば勝てるとのイメージが強かったので、戦略面でもそうしたイメージ勢力として落ち着かせた。
上杉と北条
上杉ファンには申し訳ないが、本ゲームでの活躍の場は少ない。一向衆に翻弄され、武田に振りまわらされるという位置づけとなったからだ。だだ、揚北などのエリアも設定した事で、謙信上洛シナリオを作成すれば面白くプレイできるかもしれない。
そうした場合の戦略は、やはり関東進出ではなく北陸道の制圧が第一となる。古代朝廷が越の民に不安を抱えていた様、また木曾義仲が北陸道の武士団をまとめて上洛した様、この地の制圧は戦力を持つ上で重要である。北陸道の各エリアは、若干、割の悪い割り方となってしまったが、それでも大きな戦力となる。
浅井と朝倉
今回、浅井は朝倉勢力の中へ組み込んだ形とした。また若狭武田は、ユニットも登場しない形で完全に組み込んだ。そうして、織田への対抗勢力としたのである。しかしここが織田に落ちると、これより織田の成長スピードは急速に伸びていく。
シナリオ開始を何年にするかにもよるのだが、最終的に延暦寺ユニットは登場しなくした。これがある場合に、長島の勢力もあって、信長の成長が難しくなったからである。「信長最大の危機」シナリオなど、織田家プレイのシナリオがつくれると、また違った存在感を出せるだろう。その為、延暦寺ユニットは自作シナリオ用に残した。
本願寺と雑賀
ゲームでは本願寺と雑賀は別の勢力としている。本願寺は長島と加賀を制圧している。雑賀はいろいろと面倒だったので、紀州を雑賀エリアとした。途中で、根来衆、雑賀衆などと分けていたのだが、あまり変わらない上、ルールだけが煩雑になったのでこうした。
本願寺が制圧している長島を織田が攻めると、雑賀の鉄砲隊が援軍でやってくる。雑賀孫市の能力も加わり、この時の長島は難攻不落の要塞と化す。延暦寺ユニットを用いるシナリオを試していた頃、この長島の要塞化もあって、織田が伸び悩んでしまった。信長シナリオでは面白いかもしれないが、この長島が落ちると、武田は一段と苦しくなる。
客将と傀儡勢力
村上義清は上杉の客将であり、上杉が北信濃を制圧すると傀儡勢力となる。また能登では畠山義隆がそうである。あまり意味はないが、雰囲気を出す為に登場させた。徳川家康は、領土をなくすと織田の客将となる。織田が三河を制圧すると傀儡勢力として復活する。
ゲームの本質とは関係ないが、遊び心として必要かと思った部分である。