百年戦争-The Hundred Years' War-|サイフォン&コマンドマガジンが放つタブレットウォーゲーム
百年戦争-The Hundred Years' War- こまあぷ‐kama app‐

百年戦争-The Hundred Years' War-コラムページ

2016/09/01
Progress Note

 こまあぷではこれまで、タイトルごと開発テーマを決めて制作してきた。当初は実習にきていたインターン生を正式採用し、アプリ開発を始めた事から、ライブラリを少しずつ充実させていく事が目的だったが、次第にシミュレーションとしてのテーマを追い求める事も目的となった。

百年戦争のエクストラモード

 従来の百年戦争では、イングランド側に一定の優位性があった。事実、数値的な優位性から序盤は有利であり、その勢いで制圧しまくると押し切れるからだ。しかし史実はイングランド軍が敗北している。この点を時間軸が進むにつれて、フランス軍が有利になる事で表現していた。
エクストラモードではこの点をリセットし、苦しいイングランド軍という表現で展開する事となる。設定としてはヘンリー5世亡き後、跡を継いだ弟のベッドフォード公ジョンと、オルレアンの奇跡として有名なジャンヌダルクの時代を切り取る事にした。

攻勢から劣勢に立たされるイングランド軍

 快進撃を続け、次のフランス王位を約束されたヘンリー5世だったが、王となる前に病没してしまう。イングランド王を継いだのは赤子のヘンリー6世であるが、当然ながら政務は果たせず、ヘンリー5世の弟であるベッドフォード公ジョンが摂政として実務を取り仕切った。
急死した兄の代わりにフランス戦に対応する事となったジョンは、フランス王の本拠地オルレアンを包囲させる。あと少しで勝利という場面である。ここで登場するのが、後のナポレオン時代に有名となった「ジャンヌダルク」という一人の少女である。

 ジャンヌダルクは瞬く間にイングランド軍に勝利し、オルレアンを開放した。これをオルレアンの奇跡と呼ぶ。そしてこの後、イングランド軍は次第に劣勢に立たされ、そのまま敗北してしまう。歴史上のこの時代を、エクストラモードとして切り取る事にした。
序盤、オルレアンを開放したジャンヌダルク率いる部隊は、戦意も高く強力な部隊ユニットである。しかし時が経つと、次第に熱も冷めていく。イングランド軍は序盤のフランス軍の攻勢を凌ぎ、挽回しなければならないというシナリオとした。

摂政ベッドフォード公ジョン

 ランカスター朝を開いたヘンリー4世の息子にはヘンリー5世の他に、ベッドフォード公ジョンとグロスター公ハンフリーという弟がいた。兄が生前の頃のジョンはイングランド国内の統治を受け持ち、兄の没後はフランス戦をも指揮する事となった。
こうしてジョンが留守となったイングランドの統治を任されたのが、弟のハンフリーである。だが若いハンフリーは、同盟国のブールゴーニュ公と争いを起こしたり、長引くフランス戦の戦費を議会から拒否され工面できなかったりと、兄の足を引っ張る結果に終わった。

 こうした状況下、ジョンはフランス国内で税金を徴収する事を強いられるが、この事が地元勢力の離反を招き、更に窮地に陥るというのが、百年戦争終盤のイングランド軍の実情である。そうした過労もあってか、ジョンも暫くして没してしまう。
この後ハンフリーの時代になるかと言えば、そうとはならずに、停戦を急ぐ穏健派と主戦派とに分かれた政争が勃発。主戦派のハンフリーはヨーク公リチャードと結託するものの、彼は暗殺されてしまう。この辺りの出来事が、後の薔薇戦争の火種となっていくのであった。

ジャンヌダルクという田舎生まれの少女

 ジャンヌダルクが有名になったのは、ずっと後のナポレオンの時代になってからである。それまでは一人の少女の伝説として片田舎で語られていたに過ぎない。だが一般にはイングランド軍を打倒するものの、政争の果てに処刑された悲劇の少女とされる。
ともあれ、彼女が所属したいたフランスの軍はオルレアンを解放後、進撃を続けてシャルル7世の戴冠を実現させた。こうして正式にフランス王と公言できるようになったシャルル7世は、ブールゴーニュ公国との問題を境にジャンヌが邪魔になった。

 その後のジャンヌには、目ぼしい戦果が見当たらない。そもそも彼女に卓越した軍事能力がある訳でもなく、本領を取り戻したフランス騎士たちにとって、それ以上の働きをする必要性も戦意もなく、引き締めを図るイングランド軍に苦戦するのは当然の結末だった。
こうして捕虜となり、イングランドに引き渡された彼女は、魔女であるとして火あぶりの刑に処せられたが、彼女がいなくなったフランスでは、シャルル7世と宰相リシュモンが足元を固め、分散するイングランド軍を各個撃破し、最後の砦アキテーヌを目指して進軍するのであった。


2016/05/03
Developers Note

 こまあぷ百年戦争では、前作「総統指令」の戦闘システムを改良したシステムを採用した。主に中世の特徴として、土地とのひも付き、指揮官が掌握し難い部隊運用、戦う義務を果たしたらそこまで、という当時の社会を再現したシステムとなる。

強ZOC型の行動システム

 設計当初は「空母決戦1942」型の戦力スタック同士が戦うものであった。だが戦域の流動性が高すぎて、徳岡正肇(アトリエサード)氏らの意見もあり、現在の強ZOCシステムへ変更する事にした。
強ZOCなので敵と隣接すると行動できなくなる。全てのユニットが行動できない場合は戦闘へ進む。戦闘が終わると行動制限が解除される。という3ステップのシステムであるが、途中、試行錯誤を果たして現在の戦闘ルールにまとまった。

外線と内線だが同ユニット数の戦力配置

 通常、外線と内線の対決形式で配置する場合、外線側のユニット数が多く、内線側は小数精鋭という場合が多いだろう。だが今回は全く逆。外線の方が精鋭であり、内線が戦闘値は低い。しかも守備隊まで入れると、内線側のフランス軍はユニット数が多いというパターンだ。

序盤から優位なイングランド軍

 こうした戦力配置ながら、常磐はイングランド軍が優位に展開を進める事ができる。可能なら、単独でうろついているユニットを撃破し、アンジューの地を制圧できれば、あとは有利に展開できるだろう。だが、そう簡単に事は進まない。
史実ではイングランド軍の騎行に唆され、打って出たフランス軍が木っ端微塵に撃退たれて以来、持久戦に持ち込んだ如く連結して防衛戦に転じると、ユニット数で劣るイングランド軍は劣勢となるからだ。また指揮官が捕虜となると、ユニット数が減じる事を念頭に戦闘を進めなければならない。

圧倒的に不利なフランス軍

 史実がそうであったように、序盤は圧倒的にフランス軍は不利である。ユニット単独で戦うと、多くの場合撃退されるだろう。よってユニットを連結されて戦闘値を強化し、防衛戦で勝利したら敵都市へ侵攻するパターンが、フランス軍の手堅い戦略となる。
後半では有利な戦闘イベントが増えるに加え、指揮官の戦闘値も逆転する。攻略が難しいアキテーヌは、この期を待って動くのが賢いかもしれない。なお、北岸の港町を攻略したなら、防衛隊として各ユニットを配置しておかないと、イングランド軍に奪い返されるので注意が必要。

百年戦争の為のキャンペーン制

 今般取り入れたキャンペーン制では、1stステージから2ndステージに進むと、空しさを感じる事があるだろう。スタート時と何も変わらない事が多いからだ。だが、これが百年戦争の実態である。

1stステージはアンジュー争奪戦

 両軍、当初の目標は、アンジューの争奪戦となる。その為の橋頭堡が、ノルマンディでありカレーである。よって、このふたつの港町の争奪戦は、流動的な展開が可能に調整した。
こうして前哨戦が行なわれた後に展開するのが、アンジュー、若しくはシャンパーニュの攻防戦となる。イングランド軍はこの地を得ると勝利が近づき、フランス軍は守り抜く事で勝利が近づく。

2ndステージはパリとアキテーヌの攻防

 両軍とも勝利するには条件があり、イングランド軍はパリの制圧が必要となる。だがパリルールがある。また、フランス軍はアキテーヌ=ボルドーを制圧する必要があるが、これも簡単に行かない。
概ね、こうした調整で百年戦争をシミュレーションゲーム化した。小さなマップで、僅かなユニット数ではあるが、可能な限り英仏の「百年戦争」を再現してみた。残りは続く「薔薇戦争」で表現したい。


2016/05/02
Designers Note

 こまあぷのゲームデザインは20分ほどで可能なものの、その内容はマップデザインで八割方決まると言える。ミニゲームの特徴かもしれないが、マップの切り方がゲームの方向性に占める割合として大きい為だろう。そこで今回もマップデザインから入る事にした。

百年戦争-The Hundred Years' War-

アンジューを中心に各地の特徴をマップの中へ

 百年戦争の領土として争点は、イングランドの「アンジュー」の失地回復にある。交渉の場において、フランス王位を求めたり、賠償金を求めたりしているが、これらを妥協しても最後まで引き下がれないのが「アンジュー」だからである。
そもそもイングランド王の祖国のひとつがアンジューの地であり、その地をジョン王時代、フランス王が奪った事が争点として引きづられていた。よってエドワード3世もヘンリー5世も、このアンジューの回復を以って停戦としていたのである。

イングランド王の祖国アンジューとノルマンディ

 ノルマンコンクェストを成し遂げたノルマン公ギョーム、その後、アンジュー伯と一体化したアンリ=ヘンリー2世の祖国がノルマンディとアンジューである。このふたつの都市は分ける事にした。
アキテーヌ、フランドル、ブルターニュは港町とのセットとしたが、上記ふたつの町は離して配置した。関連性が薄いのと、アンジューはフランス王との結びつきが強くなっていた事が理由である。

イングランドとの結びつきの強いフランドルとカレー

 羊毛産業の発達したフランドル(後のオランダ)地方は、羊毛の輸入元がイングランドであった事もあり、イングランドと住民たちとの結びつきが強い町であったが、しかしながら同盟軍として機能したかは否である。共にフランスと戦っても、それは形式としての戦いであったと言える。
商工業が発達していた事もあり、フランス王も欲した地だがなびく事はなかった。そこでこの微妙な距離を置いた。カレーまではフランドルの兵が機能するが、それより遠くには及ばない。

イングランド王のもうひとつの祖国アキテーヌとボルドー

 イングランド王にはもうひとつの祖国がある。それがアキテーヌだ。かつて元フランス王妃との婚姻から、アンジュー帝国の礎となった地である。リチャード獅子心王のホームポジションであり、彼はここから十字軍として出発した。後のブラックプリンス、ヘンリー5世もそれを模倣したかったのだろう。
かつてのジョン王時代も、百年戦争も最後まで残ったのがこのアキテーヌであった。そこでこの距離で配置した。パリからは遠いものの、イングランドからは航路ですぐというポジショニングである。

魔都パリとそれを取り巻くエスカルゴ都市群

 パリは言うまでもなく、当時もフランスの首都である。だが、既にフランス王が私物化できるほどの規模ではなく、それでなくとも王のホームポジションであるオルレアン派と、対立するブールゴーニュ派との争いが顕著であった。特にヘンリー5世の頃が最悪である。
こうした事情を反映して、エスカルゴ都市パリのルールを作った。パリに隣接する都市の過半数を制圧する事で、パリ市民がなびくというものである。同数ならフランス領であり、ブールゴーニュ公の存在感も打ち出した。

鶏肋としてのブルターニュとナント

 鶏肋とは三国志で有名な逸話だが、旨みが有りそうで実が無い事の例えである。古代ローマでブルターニュとイングランドは、ブルタニアとして一緒にされていた事もあり、古から結びつきの強い地域であったと思われる。よって史実でも、どちらに付く事もなくフラフラしている。
当初は勝利条件に組み込む予定であったが、本編では外す事にして、追加されるエクストラモードで関わりを持たせる事にした。なお、スペインは最後まで悩んでマップから外した。


2016/04/30
Project Note

 こまあぷ第五弾は「百年戦争-Hundred Years' War-」であり、ゲームデザインは谷村勝一郎。総統指令に引き続きサイフォン内で制作された。モチーフは日本で馴染みの薄い中世欧州史であるものの、今回は初のキャンペーンシステムを搭載した。

中世システムってどうなんだろう

 日本で人気のあった戦国SLGでは、近世・近代視点を取り入れた某社のシステムがSLGスタンダードであった。様々な当時の社会システムが現代人にわかり易く置き換えわれ、敷居も低いものであると感じている。これが70年代の歴史学で止まっているのか、あえて狙って続けているのかは分からないが、基本このシステムで続いてきた。
しかしだからと言って、このシステムで全てを再現できるかというと疑問がある。源平にはのらなかったので源平争乱を作ったし、そもそも戦国という時代にも違和感があったので、信玄上洛のシステムを作った。

 ところが百年戦争を表現しようとすると、中世を表現したつもりの源平争乱でも、信玄上洛でもシステムにのらない。何が違うのかというと、それは契約社会に基づく「義務」という要素が、行動ロジックの中に大きく働いているんだろうと思う。
リサーチする中でこの点が大きく違う他は、中世という中で共通点も多い事に気付く。そうすると、次はゲームデザインへ進む事ができる。英仏百年の戦いをあの小さいマップで再現する事は、これはこれですごくやりがいがある。それが難しいと感じるのであれば、最初から作る必要がない。

キャンペーンシステムの採用

 百年戦争と言っても100年戦い続けたわけではない。40年ほど戦って、40年ほど休んで、40年ほど戦う。百年戦争を一行で語るならこれである。今回はこの事を、プレイとプレイを繋ぐ「キャンペーンシステム」で再現する事にした。
とは言っても、こまあぷではキャンペーンシステムは初の実装となる。ガザラから続くデータ構造も、引継型にはなっていない。そこでしまにょ艦隊を挟んで引継型のデータ構造を実践し、百年戦争へフィードバックする事にした。

 キャンペーンとは言っても、会戦を繋いでいくタイプではなく、ブラックプリンスの時代を戦い、所定の時間で結果が出ない場合は休戦、そしてヘンリー5世の時代を再開するという形式を採用した。あとでエドワード3世時代をプレステージとして残した。
実際には、プレステージはブラックプリンスを登場させて、この内容はキャンペーン版の1stステージに移行した。2ndステージは新規で追加したものである。ただ、ソロプレイ版としてプレステージを再構築した。余力があれば、プレステージにはスクリプトを入れて、プロローグ化できればいう思いもあった。(多分、余力が出ない)


百年戦争-The Hundred Years' War-
(英仏百年の戦いがマップの中で繰り広げられる)

2016/03/19
Historical Note

イギリスという国の成り立ち

 現在では「イギリス」と「フランス」というふたつの国も、元をたどるとひとつの国であった。正確に言うと、まだ国という概念が乏しい時代であり、フランス王に従う貴族が、その束縛から解放された国がイギリスと言った方が相応しい。その戦いを、後世の人が「百年戦争」と名づけたのである。
古のローマ帝国時代、イギリスはフランスのブルターニュ地方と合わせて「ブルタニア」と呼ばれていた。そしてローマ帝国が廃れ、フランク王国が成立。そのフランク王国も分裂してフランスの原型ができた。そのフランス王は、デーン人ヴァイキングの襲撃に悩まされた。そこで毒には毒をという事で、フランス北部のノルマンディ地方にいたヴァイキングへ正式に領主権を与え、デーン人対策の戦力に組み込んだのである。

 このノルマン人ヴァイキングの親分は、ロロという名称をロペールと言うフランス風の名前に変えて、キリスト教も受け入れフランス人化する。そして子のギョームは海を渡り、デーン人とアングロサクソン人の王朝を打倒してイングランド王ウィリアム1世となるのが、教科書にも出てくる「ノルマンコンクェスト」のストーリーである。こうして今に繋がるイギリスの原型が整った。
現在では大国のイギリスも、当時はヴァイキングに乗っ取られる程度の国力であった。それが大国となって行くには、フランスとの百年戦争を乗り越え、続く内乱=薔薇戦争を経て、近代化に進んだ後の話である。

始まりはフランス王の嫉妬心から

 こうしてイングランド王となったノルマン公であったが、相続人が女性となり、長年仲が悪かった南方に位置するアンジュー伯と結婚する事で、両家が一体化して巨大な勢力となった。正確に言うと、この婚姻を取り成したアンジュー伯は、息子とノルマン公の相続人を結婚させ、自らはアンジュー伯を息子へ譲り、エルサレム王国の王女と結婚して第二の人生を歩んだ。
新たなアンジュー伯夫妻には、アンリという子ができた。これが後のヘンリー2世である。このアンジュー家の色男伝説は続く。当時のアキテーヌの相続人も女性であった。彼女はフランス王と離婚したばかりの元王妃である。その彼女と結婚して、広大な領地を得たのがアンリであった。

 広大なアンジュー帝国はこうして生まれた。当然ながらフランス王はその存在に脅威を感じ、王妃を取られた怒りもあっただろう。何故なら、フランス王より広大な領地を持ち、王妃が離婚したかと思うと即アンリと結婚したのである。こうして両者対立の土壌が形勢されていった。
それでも中々手を出せなかったのは、アンジュー帝国+イングランド王の力が、あまりにも強大だったからである。転機はアンジュー帝国の相続問題から湧き上がる。

アンジュー帝国とカペー朝の消滅

 色男アンリには、4人の息子がいた。まずこの息子たちと、相続問題で親子喧嘩が始まった。これにフランス王が介入するというのが、最初の形であった。結果、親子喧嘩はアンリが終息させるものの、今度は兄弟喧嘩が始まり、またもフランス王が介入した。
こうして度重なる内紛で、アンリも子の若アンリも、十字軍で名を馳せたリチャード獅子心王も死んでしまい、暗愚なジョンが王となり、大陸の領土を失う惨事に至った。その後、フランス王の心情の変化により、アキテーヌが戻されたが、結果、イングランド王はフランス王の従うという振り出しに戻されたのであった。

 人によってはこの戦いを「第一次百年戦争」とも呼ぶ。何故ならこの時の問題が、次の「第二次百年戦争」に大きな影響を与えるからである。ともあれ100年以上は、比較的平穏な時期を過ごした。だがこの間、イングランド王はフランス王の臣下としての負担が続く事が、後のエドワード3世の挑戦状へ繋がるのであった。
そして両国の関係は再び動き出す。フランスのカペー朝が断絶したのである。新たにヴァロワ朝が成立したが、これを理由に従来の関係を断ち切りたいイングランド王と、継続するべきと考えるフランス王の思惑が衝突したのである。

ナショナリズムの形勢

 エドワード3世の理屈はこうである。カペー朝の血を引く自分こそがフランス王に相応しい。だが傍系とは言えヴァロワ家の王は、それまで摂政として実務に当たってきた上でフランス王となっていた。これに異論を唱える貴族はフランスにはおらず、結局は武力衝突へ進展してしまう。
序盤はイングランド軍が優勢であった。転機はスペインの継承戦争に肩入れした事である。この失敗でイングランドはエドワード黒太子が病気を患い死亡。次いでエドワード3世も崩御。跡を継いだリチャード2世はまだ幼く、国内は混乱したがフランスも混乱しており、両国の衝突は無かった。

 先に国内の混乱を収めたのはイングランドであった。若き王ヘンリー5世は、再びフランスへ侵攻する。そして瞬く間に制圧し、フランス王を屈服させ、次のフランス王位はヘンリー5世となる話を取り付けた。だがその途端、彼は急死してしまう。
生後9ヶ月のヘンリー6世は、こうしてイングランド王とフランス王を兼ねて王となった。だが敗戦を重ね、ジョン王と同じく大陸の領土の全てを失ってしまった。違いはフランス王位を失うものの、束縛も無くなった事である。こうして長い時間をかけて、イングランドは大国イギリスへの道を進んで行くのである。