インタビュー
松本 隆一(まつもと・りゅういち)
最初にお約束みたいなことを申し上げておくと、以下は松本個人の見解であって、4Gamerの見解ではありません。とりあえずそのあたりはよろしくお願いします(笑)
ログイン時代でPCゲームというと、アドベンチャー・RPG・シミュレーションゲームあたりがメインでしたが、シミュレーションの記事を書くと本がよく売れたんです。
ただ、当時のPCはとにかく高かった。本体が30万円、モニタが30万円、プリンタが30万円とか普通でした。そのせいか、シューティングやアクションはコンシューマー機、大人はPCでシミュレーションという住み分けはあったと思います。そういえば、シムシティもやりました。マックで。きわめてハイソでしたね(笑) 確かMacintosh IIが100万円くらい? プレイできたのは、会社にあったからですね。自分じゃ絶対に買えません(笑)
海外作品はいろいろプレイしました。ストラテジーだとRTSが中心ですね。Command and Conquerは、ログイン編集部でも徹夜で対戦とかしてました。私はAoE2のあたりで諦めたんですが。マルチタスクはきついです(笑)
あー、あと、「タイクーン」がつく系のゲームはなぜか好きで。刑務所をシミュレートした「プリズン・タイクーン」とか、釣りのシミュレーションだと聞いて遊んでみたら釣具屋の経営シムだったとか。なんじゃこりゃあ、ですよ。
そういう奇抜な企画は多かったですね。昔のほうが、ゲームが簡単に作れたということかもしれません。だからバカバカしいものも、挑戦的なものもたくさんあった。いまだとApp Storeなんかにそういうゲームが多いですね。海外ゲームは重厚長大路線になっていますが、玉石混交な世界もしっかり生きてるんですよね。
最近ですか。最近は――アイドルマスターにはまってました! ほぼ徹夜!(笑) 始めると、つい続けちゃうんですよ。普通にやってるとトップアイドルにはなれなくて、結構頭を使わないといけない。そういう、挑戦する楽しさがあります。で、予備知識は不要ですし、感情移入もしやすいんですよ。もっとも、私はアイドルが全員同じに見えちゃうんですが。名前を間違えるくらい(笑)
StarCraft2の盛り上がりなんかを見てると、ストラテジーはまだまだいけるんじゃないかって感じてはいます。でもやはり、最近は新作が少ない。何か新しいゲームを遊びたいなと思っても、そもそも作品がないというのは、ちょっと寂しいですね。
中黒 靖(なかぐろ・やすし)
「シミュレーションゲーム」というものは、自分としては、これでひとつづきの単語だと考えています。 ナカグロが途中に入ったりはしない。「シミュレーションゲーム」というひと続きで、ひとつの単語であって、 不可分なんです。
それで、じゃあそのシミュレーションゲームってものは何かっていうと、それは歴史あるいは戦史の解釈なんです。 だから、そこに唯一絶対の正解があるわけじゃなくて、むしろいろんな解釈があっていいんです。
例えば第二次世界大戦の東部戦線ではクルスク大戦車戦っていうのがあったと言われていて、
そこでは何千台っていう戦車が激突したとされてるんですが、最近の研究で「いわゆる大戦車戦はなかった」
という説が出始めています。
それで、その研究に基づいたゲームも実際に出版されているわけです
(コマンドマガジン日本版・第93号付録として収録)。
ユニットのレーティングなんかも同じですね。
ゼロ戦とワイルドキャットの性能を、どうゲームの中で表現するのか。機体性能を正確に数値化することは、
ひとつの解釈です。でも運用面まで入れて考えると、スペックシート通りの数値ではおかしいんじゃないか、
ということになる。
これも解釈です。それぞれどっちが不正確だ、悪いんだっていうんじゃなくて、
どちらも解釈なんです。
シミュレーションゲームっていう趣味をやってると、こういった解釈に触れたときに、全否定か全肯定か、 そのどちらかについ回ってしまうってことがあります。「このゲームは正しい、このゲームは全然ダメだ」みたいな。 でも、それってどちらにしても可能性を狭めることでしかないんですよね。
クルスクの話に戻すと、大戦車戦をやってるクルスクのゲームは、戦車戦をしないクルスクのゲームが 出現したことによって、すべて意味がなくなったかといえば、決してそうではありません。 結局、それは資料の使い方の違いであって、そこからデザイナーの解釈を読み取るのもシミュレーションゲームの 楽しさだと思うからです。
よく、「これぞ◯◯の決定版!」みたいな売り文句がありますけど、シミュレーションゲームに関して言うなら、 決定版なんていうものはありません。 いろんな解釈を、いろいろなゲームという形で楽しんで、それでなかには肌が合うものもあれば、合わないものもある、 そういう出会いの中での新発見が大事なんですよ。
中黒 靖(なかぐろ・やすし)
「シミュレーションゲーム」というものは、自分としては、これでひとつづきの単語だと考えています。 ナカグロが途中に入ったりはしない。「シミュレーションゲーム」というひと続きで、ひとつの単語であって、 不可分なんです。
それで、じゃあそのシミュレーションゲームってものは何かっていうと、それは歴史あるいは戦史の解釈なんです。 だから、そこに唯一絶対の正解があるわけじゃなくて、むしろいろんな解釈があっていいんです。
例えば第二次世界大戦の東部戦線ではクルスク大戦車戦っていうのがあったと言われていて、
そこでは何千台っていう戦車が激突したとされてるんですが、最近の研究で「いわゆる大戦車戦はなかった」
という説が出始めています。
それで、その研究に基づいたゲームも実際に出版されているわけです
(コマンドマガジン日本版・第93号付録として収録)。
ユニットのレーティングなんかも同じですね。
ゼロ戦とワイルドキャットの性能を、どうゲームの中で表現するのか。機体性能を正確に数値化することは、
ひとつの解釈です。でも運用面まで入れて考えると、スペックシート通りの数値ではおかしいんじゃないか、
ということになる。
これも解釈です。それぞれどっちが不正確だ、悪いんだっていうんじゃなくて、
どちらも解釈なんです。
シミュレーションゲームっていう趣味をやってると、こういった解釈に触れたときに、全否定か全肯定か、 そのどちらかについ回ってしまうってことがあります。「このゲームは正しい、このゲームは全然ダメだ」みたいな。 でも、それってどちらにしても可能性を狭めることでしかないんですよね。
クルスクの話に戻すと、大戦車戦をやってるクルスクのゲームは、戦車戦をしないクルスクのゲームが 出現したことによって、すべて意味がなくなったかといえば、決してそうではありません。 結局、それは資料の使い方の違いであって、そこからデザイナーの解釈を読み取るのもシミュレーションゲームの 楽しさだと思うからです。
よく、「これぞ◯◯の決定版!」みたいな売り文句がありますけど、シミュレーションゲームに関して言うなら、 決定版なんていうものはありません。 いろんな解釈を、いろいろなゲームという形で楽しんで、それでなかには肌が合うものもあれば、合わないものもある、 そういう出会いの中での新発見が大事なんですよ。
青柳 昌行 (あおやぎ・まさゆき)
株式会社エンターブレイン常務取締役。
1966年生まれ、東京都出身。1990年入社。1998年『ログイン』編集長就任。2001年取締役就任。2006年より現職。
ログイン編集長就任前、ログイン担当記者時代は『青柳ういろう』として、主に誌面よりシミュレーションジャンルを
支え続け、告知、助言、提案等など、このゲームジャンルを世間一般に広く認知させ、普及させていく一翼を担い、
その功績は大きい。
現在では更に多くのジャンルを取り扱い、日本のエンターテイメントの中枢で活躍されている。
「シミュレーションは歴史のロマンとドラマ性を楽しめる」
-冷たい数字の塊だけではない 夢とかトキメキが必要-
僕はずいぶん昔からシミュレーションゲームを遊んできていますけれど、こういう言い方をしていいのかどうか 分かりませんが、昔のゲームは面白かったんですよ。「森田のバトルフィールド」(エニックス)とか 「川中島」(光栄)とか「珊瑚海海戦」(システムソフト)とか、それからもちろん「信長の野望」(光栄)に 「大戦略」(システムソフト)に……。
このころのシミュレーションゲームって、今の人からはときどき勘違いされますけど、けっしてボードゲームの
亜流というわけではなかったんです。どれも独自の工夫がありましたし、なによりゲームに夢がありました。
でも、だいたい90年代頃になって、ゲームの中心がPCからコンシューマーに移動してくると、
だんだんシミュレーションゲームも停滞してしまいました。ログインの頃に僕らで調査もしたんですが、
80年ごろって出版された本数ではシミュレーションが一番多かった。
その前の時代はアドベンチャーでした。それが90年に入って、RPGのほうが多くなってきてるんです。
「ドラゴンクエスト」(エニックス)が86年ですが、
それに限らず、あの頃のRPGには全盛期のシミュレーションゲームのようなトキメキがありましたね。
じゃあその、シミュレーションゲームにあった夢とかトキメキみたいなものって何なんだって話しなんですけど、
僕はそれは言ってみれば「物語性」なのだと思うんです。
シミュレーションって言うと、現実を正確に再現するとか、史実のデータがこうだとか、
そういう冷たい数字の塊みたいなものを考えてしまいがちです。歴史のifっていう言葉にしても、
研究者みたいに歴史のことを詳しく知っていて初めて面白さがわかるのだ、みたいな敷居になってしまっている部分がある。
でも、日本のシミュレーションゲームの面白さって、言ってみれば、司馬遼太郎や海音寺潮五郎の歴史小説のような
面白さなんだと思うんですよ。いわゆる洋ゲーのシミュレーションゲームは、現実の緻密な再現を目指したり、
そうじゃなきゃ対戦を中心とした設計をしたりしてますし、ユーザーさんもそれを楽しんでいる。
でも日本では、歴史のロマンとかドラマ性のほうをより楽しんできたんじゃないでしょうか。
なので、サイフォンさんには是非そういう思い入れのあるゲームを作ってほしいですね。
プレイヤーが感情移入できるシミュレーションゲームは、やっぱり面白いですよ。
鈴木銀一郎(すずき・ぎんいちろう)
ゲームデザイナー。
日本において、初めて職業としての「ゲームデザイナー」を成立させた人物。
日本のアナログ・シミュレーションゲームの萌芽と発展を支え、またその一方で
「モンスターメーカー・カードゲーム」などでライトなキャラクターカードゲームへの道も開いた。
今なお現役ゲームデザイナーであり、「新・戦国大名」(国際通信社)、「ウルフレンド・サーガ」(GameLink)
など現代的なゲームシステムを持つアナログ・ボードゲームをデザインしている。
ゲームは勝つためにやる
私はね、ゲームは勝つためにやると思ってます(笑) これを否定しちゃいけないんですよ。
私は主にアナログのボードゲームやロールプレイングゲームをデザインしていますが、特にボードゲームについては、
ときどき、「ボードゲームはコミュニケーション・ツールだ」とか綺麗事を言う人がいる。
とんでもないね。勝つことにこだわらなかったら、ゲームなんてつまんないですよ。
もちろん、ゲームによっては勝ち負けの程度が点数に出てくるゲームや、何回も繰り返しプレイして
結果を通算することで勝ち負けが見えてくるゲームだってあります。
何もかもを「勝ち」「負け」の2つにきっちり塗り分けられるわけではありませんし、
同点引き分けということもあるでしょう。それはそれでいいんです。
大事なのは、ゲームはきちんと決着がつかなくちゃいけない、ということです。
終わるまでに100時間かかってしまって、決着がつくまで遊ぶのが難しいようなゲームよりも、
1時間で決着がつくのを100回遊んでみたくなるゲームのほうが、ゲームとしては上等なんですよ。
「戦ノ国」の話を聞いて、私がいいなと思ったのは、その「短時間で決着がついて、
何度でも繰り返して遊びたくなるゲーム」を目指しているっていうところですね。1プレイ10時間ぐらいでしたっけ?
現実的な設定だと思いますよ。とても良いです。
それから、家康とか秀吉の配下になって、副将軍としてゲームの終了を迎えられるとか、連合政権ができたりとか、
そういうところもいいですね。歴史的に考えれば、何が何でも全国を武力で制圧しなきゃいけないなんて理屈はないからね(笑)
ゲームにはね、現実の全部を乗せることはできないんですよ。乗せたらプレイできなくなっちゃう。
そのゲームで何を楽しませるか、どこに集中するのか。そこをきちんと割り切らなくちゃいけない。
なおかつ、削り込みすぎてしまって、最適戦略が1つしかないということになってもいけない。
その点、前作の「空母決戦」は、きちんと見切りができていたと思います。あれと同じ考え方で戦国時代のゲームが
作られていると聞けたのは、とても嬉しいですね。大いに期待していますので、頑張ってください。