インタビュー(戦ノ国ver1.5)
鎌倉時代の世界史(1180~1200年頃)
日本の歴史と同様に、当然ながら世界の歴史も存在する。
まずは、源平時代から鎌倉時代における世界史の流れを、簡単に追ってみよう。
南北に分裂する中国、サラディンが活躍する中東、それによって団結と亀裂を見せるキリスト教国家、世界国家を目指すモンゴル帝国。
日本では義経・弁慶の逸話、イギリスではロビンフッドの活躍がリチャード1世(獅子心王)と共に描かれる。そんな時代である。
-北方民族に侵略される中国-
日本において源氏と平氏が争った頃、世界はどのように動いていたのだろうか。
まず注目すべき事件は1126年、中国で起こった靖康の変であろう。女真族の完顔阿骨打によって建国された金が北宋を滅ぼし、中国では金と南宋による分断統治が始まった。
1142年には金と南宋の間で和平条約が締結され、南宋は事実上、金に対する朝貢国となる。しかしながら南宋は貿易を中心として大いに栄え、日本においても平氏が福原を日宋貿易の拠点としている。
南宋はその後1206年、北伐の軍を起こすが失敗。やがて北から訪れるモンゴルによって金が滅ぼされ、南宋もまたモンゴルによって滅亡への道を歩むことになる。
-サラディンと十字軍が対決する中東-
中東では1169年にサラーフッディーン(サラディン)によりアイユーブ朝が成立、1171年にはファーティマ朝が滅亡。1187年にはエルサレムをアイユーブ朝の手によって奪還している。
アイユーブ朝とサラディンの成功はヨーロッパキリスト教社会を刺激し、1189年に第三回十字軍が幕を開けた。この十字軍はイングランドのリチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世が参加する大規模なものとなる。
しかしながらこの十字軍は足並みがなかなか揃わなかった。第一陣として出発したフリードリヒ1世は渡河中に溺死してしまい、指導者を失った神聖ローマ帝国軍はほぼ解散となる。
またリチャード1世とフィリップ2世は折り合いが悪く、ドイツ人の指揮官であったオーストリア公レオポルト5世との関係もぎくしゃくしたものであった。
十字軍は1191年7月初頭にアッコンを包囲陥落させるも、自身の待遇に不満を抱くレオポルト5世が帰国、またフィリップ2世も7月末には帰国してしまい、リチャード1世だけがパレスチナでの戦いを続けることになる。
リチャード1世はサラーフッディーンと激しい戦いを繰り広げるが、エルサレムを攻略することはできず、多くの血が流された末、両雄は和平を結ぶことになる。これにより、エルサレムはアイユーブ朝の支配下に入ったままだが、キリスト教徒の巡礼がエルサレムを訪れることは保証されることとなった。
-亀裂深まるキリスト教世界-
全体的に見てヨーロッパ側の統制の悪さが目立った第3回十字軍だが、東ローマ帝国が協力しなかったこと、またその一方で東ローマ帝国領だったキプロスを十字軍が占領していること(当時のキプロスの支配者は東ローマから離反しており、嵐で流れ着いた十字軍兵士を捕虜として捕え身代金を要求したため、リチャード1世はこの支配者と戦ってキプロスを占領している)から、カソリック世界と東ローマ帝国との亀裂を拡大したという側面もあった。
勇猛(と残虐さ)で知られるリチャード1世だが、彼は十字軍からの帰路、ドイツでレオポルト5世によって捕らえられ、幽閉される。同時期にフランスのフィリップ2世は、リチャード1世の弟であるジョンと手を組み、ジョンによる王位簒奪が計画されていたのだ。
しかしながら1194年には身代金を払ったリチャード1世は幽閉から解放され、イングランドに戻るや否やジョンを屈服させ王位簒奪計画はご破算となった。
その後、リチャード1世はフィリップ2世とフランス本土で戦うが、矢傷が原因で戦没する。
リチャード1世がイングランド本国で政務を執ったのは、実に6ヶ月程度でしかなかった。
兄の急死に乗じてジョンは今度こそイングランド王位を獲得するが、フィリップ2世と争ってイングランドが有していた大陸領土のほとんどを失うことになる。
またカンタベリー大司教の後継者を巡って教皇庁と争い、破門されたうえに手ひどい政治的敗北を喫している。度重なる失態にイングランド国内でも反ジョン王の機運は高まり、この動きが後にイギリスにおける「法の支配」概念の礎となるマグナ・カルタを成立させることになる。
なお、ジョン王は大量の領土を失ったことから「ジョン失地王」とも呼ばれており、いまだにイングランドきっての暗君としての名を欲しいがままにしている。
-モンゴルが目指す世界帝国-
このようにヨーロッパで13世紀が始まった頃、モンゴルではチンギス・ハーンが覇業をスタートさせる。1206年にモンゴルの統一を成し遂げたモンゴル帝国は、これ以降、燎原の火のように拡大していく。
1234年には金を滅ぼし、1241年にワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド諸侯連合軍を撃滅(この直後にモンゴル皇帝が急死したためモンゴル軍はヨーロッパ侵攻を停止したが、もし皇帝が存命であればヨーロッパ全体がモンゴルに支配されていた可能性は否定できない)。1258年にアッバース朝を滅ぼし、1279年には中国の統一に成功する。
そして1281年、日本に対し二回目の上陸作戦が発動され、これは弘安の役として知られている。弘安の役は1944年にノルマンディー上陸作戦が行われるまで世界最大の上陸作戦としての地位を保ち続けた作戦であり、台風などの影響により失敗に終わったとはいえ、「13世紀はモンゴルの世紀」と呼ばしめるにふさわしい大作戦であったと言えるだろう。
ちなみに、弘安の役では6月6日に最初の本土上陸作戦が行われている。奇しくもノルマンディー上陸作戦もまた、6月6日に行われた作戦であった。
(アトリエサード・徳岡正肇)
鹿内靖(しかうち・やすし)
例えばシェイクスピアにしても、「読んだけどつまんない」という人はいます。
でも、本当に読もうと思えば、ものすごく豊穣なものを読み取れる。シミュレーションゲームも、いろんな要素があって、そこから汲み取らなきゃいけない部分があるんです。
そういう意味では、シミュレーションゲームは難しいですね。まずゲームとして、勝負事として面白くなくてはなりません。それから、歴史的原則を満たさなきゃいけない。歴史の可能性も示さなくてはいけない。そのなかから、自分なりの視点、「自分はこの状況や戦いに対しこういう見方を持っている」という主張も示す必要がある。
もしかしたら、ゲームと自分の歴史観は違うかもしれない。でも、違うのが面白いんですよ。本と同じですね。読んでいて「俺の人生観と違うからダメな本だ」とは言えないんですよね。自分の人生観とは違う、別の人生観がそこにあるから、面白い。でもゲームとなると、「これは俺の知っているバルジじゃないから駄目だ」って言う人がいる(笑)
歴史というのは、解釈が変わるんです。いろんな出来事が起こっていく中で、あるとき突然何かが起こることで、前に起こったことの解釈というのは全部変わっていく。
例えば、どこかの国で蜂起と鎮圧が繰り返されていたとします。それで、そのうち蜂起が成功したとなった場合、それまで鎮圧されてきたその鎮圧のされ方が、少しずつ変化してきていたはずなんです。だからこそ、最後に蜂起が成功した。
もし蜂起が全部失敗だったら、その失敗は同じ失敗を繰り返したのだと認識されるんです。このように、何かが起こると、歴史の再認識が絶対に起こります。歴史自体が、少しずつ、評価が変わるんですね。
シミュレーションゲームも、ひとつが正解ということはありません。様々な解釈があって、デザイナーごとにそれは違うんです。歴史と同じで、それぞれのゲームは、現時点での解釈に過ぎない。
寺山修司は「起こらなかったことも含めて歴史なんだ」と言っています。起こったことの分析だけでなく、他のことがなぜ起こらなかったのかということも考えなくちゃいけない。そういった多面的な見方ができるという点でも、シミュレーションゲームは良いですね。
歴史を理解する、有利なツールだと思います。歴史を理解することが、人間の社会を良くすると思っているので、なるべくたくさんの人にシミュレーションゲームを遊んで頂きたいなと思いますね(笑)
インタビュー(戦ノ国ver1.0)
松本 隆一(まつもと・りゅういち)
最初にお約束みたいなことを申し上げておくと、以下は松本個人の見解であって、4Gamerの見解ではありません。とりあえずそのあたりはよろしくお願いします(笑)
ログイン時代でPCゲームというと、アドベンチャー・RPG・シミュレーションゲームあたりがメインでしたが、シミュレーションの記事を書くと本がよく売れたんです。
ただ、当時のPCはとにかく高かった。本体が30万円、モニタが30万円、プリンタが30万円とか普通でした。そのせいか、シューティングやアクションはコンシューマー機、大人はPCでシミュレーションという住み分けはあったと思います。そういえば、シムシティもやりました。マックで。きわめてハイソでしたね(笑) 確かMacintosh IIが100万円くらい? プレイできたのは、会社にあったからですね。自分じゃ絶対に買えません(笑)
海外作品はいろいろプレイしました。ストラテジーだとRTSが中心ですね。Command and Conquerは、ログイン編集部でも徹夜で対戦とかしてました。私はAoE2のあたりで諦めたんですが。マルチタスクはきついです(笑)
あー、あと、「タイクーン」がつく系のゲームはなぜか好きで。刑務所をシミュレートした「プリズン・タイクーン」とか、釣りのシミュレーションだと聞いて遊んでみたら釣具屋の経営シムだったとか。なんじゃこりゃあ、ですよ。
そういう奇抜な企画は多かったですね。昔のほうが、ゲームが簡単に作れたということかもしれません。だからバカバカしいものも、挑戦的なものもたくさんあった。いまだとApp Storeなんかにそういうゲームが多いですね。海外ゲームは重厚長大路線になっていますが、玉石混交な世界もしっかり生きてるんですよね。
最近ですか。最近は――アイドルマスターにはまってました! ほぼ徹夜!(笑) 始めると、つい続けちゃうんですよ。普通にやってるとトップアイドルにはなれなくて、結構頭を使わないといけない。そういう、挑戦する楽しさがあります。で、予備知識は不要ですし、感情移入もしやすいんですよ。もっとも、私はアイドルが全員同じに見えちゃうんですが。名前を間違えるくらい(笑)
StarCraft2の盛り上がりなんかを見てると、ストラテジーはまだまだいけるんじゃないかって感じてはいます。でもやはり、最近は新作が少ない。何か新しいゲームを遊びたいなと思っても、そもそも作品がないというのは、ちょっと寂しいですね。
中黒 靖(なかぐろ・やすし)
「シミュレーションゲーム」というものは、自分としては、これでひとつづきの単語だと考えています。 ナカグロが途中に入ったりはしない。「シミュレーションゲーム」というひと続きで、ひとつの単語であって、 不可分なんです。
それで、じゃあそのシミュレーションゲームってものは何かっていうと、それは歴史あるいは戦史の解釈なんです。 だから、そこに唯一絶対の正解があるわけじゃなくて、むしろいろんな解釈があっていいんです。
例えば第二次世界大戦の東部戦線ではクルスク大戦車戦っていうのがあったと言われていて、
そこでは何千台っていう戦車が激突したとされてるんですが、最近の研究で「いわゆる大戦車戦はなかった」
という説が出始めています。
それで、その研究に基づいたゲームも実際に出版されているわけです
(コマンドマガジン日本版・第93号付録として収録)。
ユニットのレーティングなんかも同じですね。
ゼロ戦とワイルドキャットの性能を、どうゲームの中で表現するのか。機体性能を正確に数値化することは、
ひとつの解釈です。でも運用面まで入れて考えると、スペックシート通りの数値ではおかしいんじゃないか、
ということになる。
これも解釈です。それぞれどっちが不正確だ、悪いんだっていうんじゃなくて、
どちらも解釈なんです。
シミュレーションゲームっていう趣味をやってると、こういった解釈に触れたときに、全否定か全肯定か、 そのどちらかについ回ってしまうってことがあります。「このゲームは正しい、このゲームは全然ダメだ」みたいな。 でも、それってどちらにしても可能性を狭めることでしかないんですよね。
クルスクの話に戻すと、大戦車戦をやってるクルスクのゲームは、戦車戦をしないクルスクのゲームが 出現したことによって、すべて意味がなくなったかといえば、決してそうではありません。 結局、それは資料の使い方の違いであって、そこからデザイナーの解釈を読み取るのもシミュレーションゲームの 楽しさだと思うからです。
よく、「これぞ◯◯の決定版!」みたいな売り文句がありますけど、シミュレーションゲームに関して言うなら、 決定版なんていうものはありません。 いろんな解釈を、いろいろなゲームという形で楽しんで、それでなかには肌が合うものもあれば、合わないものもある、 そういう出会いの中での新発見が大事なんですよ。
中黒 靖(なかぐろ・やすし)
「シミュレーションゲーム」というものは、自分としては、これでひとつづきの単語だと考えています。 ナカグロが途中に入ったりはしない。「シミュレーションゲーム」というひと続きで、ひとつの単語であって、 不可分なんです。
それで、じゃあそのシミュレーションゲームってものは何かっていうと、それは歴史あるいは戦史の解釈なんです。 だから、そこに唯一絶対の正解があるわけじゃなくて、むしろいろんな解釈があっていいんです。
例えば第二次世界大戦の東部戦線ではクルスク大戦車戦っていうのがあったと言われていて、
そこでは何千台っていう戦車が激突したとされてるんですが、最近の研究で「いわゆる大戦車戦はなかった」
という説が出始めています。
それで、その研究に基づいたゲームも実際に出版されているわけです
(コマンドマガジン日本版・第93号付録として収録)。
ユニットのレーティングなんかも同じですね。
ゼロ戦とワイルドキャットの性能を、どうゲームの中で表現するのか。機体性能を正確に数値化することは、
ひとつの解釈です。でも運用面まで入れて考えると、スペックシート通りの数値ではおかしいんじゃないか、
ということになる。
これも解釈です。それぞれどっちが不正確だ、悪いんだっていうんじゃなくて、
どちらも解釈なんです。
シミュレーションゲームっていう趣味をやってると、こういった解釈に触れたときに、全否定か全肯定か、 そのどちらかについ回ってしまうってことがあります。「このゲームは正しい、このゲームは全然ダメだ」みたいな。 でも、それってどちらにしても可能性を狭めることでしかないんですよね。
クルスクの話に戻すと、大戦車戦をやってるクルスクのゲームは、戦車戦をしないクルスクのゲームが 出現したことによって、すべて意味がなくなったかといえば、決してそうではありません。 結局、それは資料の使い方の違いであって、そこからデザイナーの解釈を読み取るのもシミュレーションゲームの 楽しさだと思うからです。
よく、「これぞ◯◯の決定版!」みたいな売り文句がありますけど、シミュレーションゲームに関して言うなら、 決定版なんていうものはありません。 いろんな解釈を、いろいろなゲームという形で楽しんで、それでなかには肌が合うものもあれば、合わないものもある、 そういう出会いの中での新発見が大事なんですよ。
青柳 昌行 (あおやぎ・まさゆき)
株式会社エンターブレイン常務取締役。
1966年生まれ、東京都出身。1990年入社。1998年『ログイン』編集長就任。2001年取締役就任。2006年より現職。
ログイン編集長就任前、ログイン担当記者時代は『青柳ういろう』として、主に誌面よりシミュレーションジャンルを
支え続け、告知、助言、提案等など、このゲームジャンルを世間一般に広く認知させ、普及させていく一翼を担い、
その功績は大きい。
現在では更に多くのジャンルを取り扱い、日本のエンターテイメントの中枢で活躍されている。
「シミュレーションは歴史のロマンとドラマ性を楽しめる」
-冷たい数字の塊だけではない 夢とかトキメキが必要-
僕はずいぶん昔からシミュレーションゲームを遊んできていますけれど、こういう言い方をしていいのかどうか 分かりませんが、昔のゲームは面白かったんですよ。「森田のバトルフィールド」(エニックス)とか 「川中島」(光栄)とか「珊瑚海海戦」(システムソフト)とか、それからもちろん「信長の野望」(光栄)に 「大戦略」(システムソフト)に……。
このころのシミュレーションゲームって、今の人からはときどき勘違いされますけど、けっしてボードゲームの
亜流というわけではなかったんです。どれも独自の工夫がありましたし、なによりゲームに夢がありました。
でも、だいたい90年代頃になって、ゲームの中心がPCからコンシューマーに移動してくると、
だんだんシミュレーションゲームも停滞してしまいました。ログインの頃に僕らで調査もしたんですが、
80年ごろって出版された本数ではシミュレーションが一番多かった。
その前の時代はアドベンチャーでした。それが90年に入って、RPGのほうが多くなってきてるんです。
「ドラゴンクエスト」(エニックス)が86年ですが、
それに限らず、あの頃のRPGには全盛期のシミュレーションゲームのようなトキメキがありましたね。
じゃあその、シミュレーションゲームにあった夢とかトキメキみたいなものって何なんだって話しなんですけど、
僕はそれは言ってみれば「物語性」なのだと思うんです。
シミュレーションって言うと、現実を正確に再現するとか、史実のデータがこうだとか、
そういう冷たい数字の塊みたいなものを考えてしまいがちです。歴史のifっていう言葉にしても、
研究者みたいに歴史のことを詳しく知っていて初めて面白さがわかるのだ、みたいな敷居になってしまっている部分がある。
でも、日本のシミュレーションゲームの面白さって、言ってみれば、司馬遼太郎や海音寺潮五郎の歴史小説のような
面白さなんだと思うんですよ。いわゆる洋ゲーのシミュレーションゲームは、現実の緻密な再現を目指したり、
そうじゃなきゃ対戦を中心とした設計をしたりしてますし、ユーザーさんもそれを楽しんでいる。
でも日本では、歴史のロマンとかドラマ性のほうをより楽しんできたんじゃないでしょうか。
なので、サイフォンさんには是非そういう思い入れのあるゲームを作ってほしいですね。
プレイヤーが感情移入できるシミュレーションゲームは、やっぱり面白いですよ。
鈴木銀一郎(すずき・ぎんいちろう)
ゲームデザイナー。
日本において、初めて職業としての「ゲームデザイナー」を成立させた人物。
日本のアナログ・シミュレーションゲームの萌芽と発展を支え、またその一方で
「モンスターメーカー・カードゲーム」などでライトなキャラクターカードゲームへの道も開いた。
今なお現役ゲームデザイナーであり、「新・戦国大名」(国際通信社)、「ウルフレンド・サーガ」(GameLink)
など現代的なゲームシステムを持つアナログ・ボードゲームをデザインしている。
ゲームは勝つためにやる
私はね、ゲームは勝つためにやると思ってます(笑) これを否定しちゃいけないんですよ。
私は主にアナログのボードゲームやロールプレイングゲームをデザインしていますが、特にボードゲームについては、
ときどき、「ボードゲームはコミュニケーション・ツールだ」とか綺麗事を言う人がいる。
とんでもないね。勝つことにこだわらなかったら、ゲームなんてつまんないですよ。
もちろん、ゲームによっては勝ち負けの程度が点数に出てくるゲームや、何回も繰り返しプレイして
結果を通算することで勝ち負けが見えてくるゲームだってあります。
何もかもを「勝ち」「負け」の2つにきっちり塗り分けられるわけではありませんし、
同点引き分けということもあるでしょう。それはそれでいいんです。
大事なのは、ゲームはきちんと決着がつかなくちゃいけない、ということです。
終わるまでに100時間かかってしまって、決着がつくまで遊ぶのが難しいようなゲームよりも、
1時間で決着がつくのを100回遊んでみたくなるゲームのほうが、ゲームとしては上等なんですよ。
「戦ノ国」の話を聞いて、私がいいなと思ったのは、その「短時間で決着がついて、
何度でも繰り返して遊びたくなるゲーム」を目指しているっていうところですね。1プレイ10時間ぐらいでしたっけ?
現実的な設定だと思いますよ。とても良いです。
それから、家康とか秀吉の配下になって、副将軍としてゲームの終了を迎えられるとか、連合政権ができたりとか、
そういうところもいいですね。歴史的に考えれば、何が何でも全国を武力で制圧しなきゃいけないなんて理屈はないからね(笑)
ゲームにはね、現実の全部を乗せることはできないんですよ。乗せたらプレイできなくなっちゃう。
そのゲームで何を楽しませるか、どこに集中するのか。そこをきちんと割り切らなくちゃいけない。
なおかつ、削り込みすぎてしまって、最適戦略が1つしかないということになってもいけない。
その点、前作の「空母決戦」は、きちんと見切りができていたと思います。あれと同じ考え方で戦国時代のゲームが
作られていると聞けたのは、とても嬉しいですね。大いに期待していますので、頑張ってください。