薔薇戦争
Wars of The Roses
薔薇戦争-Wars of The Roses-コラムページ
2016/10/11
Progress Note
if世界と史実のすり合わせをエクストラモードで展開
近年、リチャード3世の骨が駐車場の地下で発見されたとのニュースが流れ、俄かにリチャード3世ブームが訪れた。シェークスピア史劇として文学面で有名な彼は、歴史学上でも功績が評価されてきた王のひとりである。そこでエクストラモードにて、ifの世界として登場させる事にした。
リチャード3世はどのような王なのか
まずリチャード3世は、ヨーク朝を開いたエドワード4世の弟である。エドワード4世の子エドワード5世の摂政となったものの、王の座を奪ってイングランド王となった。この過程で有力な協力者であったバッキンガム公と仲たがいする。同じ様な形で、ヨーク公以来の協力者の多くを失っていた。
こうした状態で、ランカスター派の残党としてリッチモンド伯ヘンリーテューダーが立ち上がり、バッキンガム公を誅したリチャードは、ヘンリーとの対決に持ち込むが惨敗。処刑後の死体は捨てられたとされていた。この死体が、近年発見されたのである。
新たに成立したテューダー朝政権下で、リチャード3世は悪者としてのイメージ付けが為されていくが、近年の歴史学では、彼の功績が再評価されている事も事実である。よって、シェイクスピア史劇のイメージだけで、彼を評価する事はできない。また、他の貴族たちの評価も同様である。
エクストラモードでのリチャード3世
史実ではヘンリーに負けて、リチャードは部下のケイツビーと共に処刑されている。これをケイツビーが、リチャードを引き連れて戦域を突破し、逃げ通せた事とした。ヘンリーはリチャードを発見できないまま、史実と同じく、エドワード4世の娘と結婚して王となった。ヘンリー7世の誕生である。
王となったヘンリー7世は、国内の安定化を目指して各地を巡遊する。ロンドンからウォリック、そしてサマセットに立ち寄り、テューダー家所縁のウェールズへ向った。ペンブルック伯はベッドウォード公となり、彼もウェールズへ向った。こうしてロンドンは一時的に蛻の殻となっていたのである。
リチャードはこの時、父ヨーク公所縁の地カレーにいた。支援者らと再起を図る計画を企てていた。こうしてロンドン強襲し、政権を奪還する計画を実行する事となった。時を同じくして、アイルランドよりケイツビーも兵を集めてくる手はずを整えた。エクストラモードはこうして始まるのである。
他の貴族たちの設計
リチャード3世とヘンリー7世の設定は以上である。だが別に薔薇戦争の重要人物として、ヘンリーの伯父であるペンブルック伯ことベッドウォード公と、ノーサンバランド伯を登場される事とした。
ヘンリー6世の弟ペンブルック伯ジャスパーテューダー
ペンブルック伯ジャスパーは、ヘンリー6世の弟である。父は違うが母親キャサリンの同腹の子である。こうした立場である為、王位継承権は放棄していたものの、甥のリッチモンド伯ヘンリーがランカスター派の継承者となると、彼の存在感は大きなものであった。
後のヘンリー7世が子供の頃、亡くなった兄に代わり養育していたのがジャスパーだった。ジャスパーがヘンリーに兵術指南をしていたともあり、テューダー朝政権化でベッドウォード公となったジャスパーは、ヘンリー7世を最後まで支援するユニットとした。
北方の勇ノーサンバランド伯
薔薇戦争期のノーサンバランド伯は、いささか面倒な役である。元々はデーン人の家系がノルマン人と共に支配者となり、北方のアイルランドからの防波堤役として、イングランド王に仕えるという立場であった。転機はリチャード2世の時代に訪れる。この時、ランカスター派へ鞍替えしたのだ。
ランカスター派が敗れると、この爵位はウォリック伯の弟のものとなったが、ランカスター派との融和を目論むエドワード4世の計らいで、元の家系へ戻された。この事もエドワードとウォリック伯との仲たがいの要因ともなる。こうしてノーサンバランド伯はヨーク派となった。
彼はリチャードとヘンリーの決戦にも参加したが、日和見を決め込んだ。これをどう捉えるかが設定である。一族や郎党の問題を考えれば、どちらに就く事も適わなかったのであろうし、また歴代の北方の押さえ役としては、イングランド人同士の戦いで疲弊するのは無駄だと考えるだろう。
以上と薔薇戦争全般の動き方から考慮して、彼はロンドンを制圧している王側に付くとした。ヘンリー6世時代はランカスター派。エドワード4世~リチャード3世時代はヨーク派。ヘンリー7世のなるとテューダー派。常に王朝派として王位は目指さず、北方の押さえ役に徹する役としたのである。確かに猜疑心深いとされたヘンリー7世からもお咎めがない。こうして彼のポジションが確定した。
2016/08/15
Developers Note
従来のAIプログラムの活用と汎用AIの確立
従来のこまあぷAIは、陣営ごとにカスタマイズを施していた。今回は同じAIでどちらも動かす事を念頭に、汎用AIの開発に注力した。またその汎用AIの設計から、プログラマが自ら担当する事で責任感を発揮し、今後へ繋げたいという思いもあった。
信玄上洛のソリティア機能を一部フィードバック
汎用AIとは言っても、これまでのAIライブラリからするとそう難しいものではない。あとはAI同士をどう繋ぐかである。基本的な最短ルートの検索や盤面の形勢判断など、AIを構築する上で必要なプログラムは既に作っているわけで、あとは判断基準をどう調整するかが問題となる。
また汎用システムとしては、既に「信玄上洛」でソリティアシステムを完成させており、特に目新しい機能というわけでもなく、こちらの機能もは既に「総統指令」にフィードバックさせた後「桶狭間の戦い」に転用させている。つまり、従来のプログラムを元に汎用AIは可能だったのである。
スタッフの自立性の確立
従来、AIの設計に関しては谷村の方で基本となる設計書を作成し、プログラマがそれをグループごとに記述。どのグループの行動を使うかという選択で成り立っていた。古めかしい作業手順ではあるが、インターンから採用までの過程ではこれが一般良かった。
問題はこのやり方を続ける限り、初動の伸びはあってもそれ以上に進み難い点である。そこで今回は当初設計の段階から、プログラマで行なう事を提案した。やはり自分の力でやり遂げないと、これ以上の伸びは無いと判断しプログラマもそれに応えた形となった。
若手スタッフのモチベーションの確保
これまで「こまあぷ」でずっと続いている問題だが、「アナログゲーム」なのか「デジタルゲーム」なのかというデザイン上の迷いがある。これは「Si-phonDigitalApp」からの課題でもあった。当然、どちらかに決めて制作を進める必要があるが、どちらに決めても問題がついて回るので厄介だ。
アナログとデジタル両立の難しさ
最初の「ガザラ」はアナログゲームの移植から始まった。当時は自分も「Si-phonDigitalAppli」の制作途中にあり、中黒さん同様に「こまあぷ」へ密接に関わる事ができていた。
ところが次第に関われる頻度が下がり、スタッフの自立へシフトしようとしたものの、どうしてもアナログの経験値の低さは否めず、互いが考えている事と意図している事の敷居は、なかなか下がらなかった。これは致し方ない問題で、キャリアだけでは覆らない難しい課題である。
躓いた「Si-phonDigitalApp」も原因は同じで、デジタル制作チーム全員がアナログを認識できない限り、思うものを作る事は非常に難しいと実感していたので、若い彼らの苦しみは理解できた。
デジタル要素の追加から制作意欲の向上を図る
こちらとして一番困るのは、モチベーション低下から生じる自発性の低下と離脱である。逆に言うとモチベーションが高い限り、難しい問題であっても何とか解決していくものである。
色々と考えた結果、若い子らが見た目からも「これはゲームである」と実感できるデジタル要素を増やす事にした。都市の耐久度と部隊の士気値の採用はそのひとつであり、調整中もステイタスを認識しやすい事で中間報告も得易く、スタッフの自発的なバランス修正が容易となった事を考えると、アナログ寄りで制作する事の難しさも実感してしまう。
こまあぷ今後の課題
デジタル要素を増やしたからと言って、一方的に喜んでもいられない。作る側がゲームだと認識しても、プレイヤー側が望まない機能は無駄に終わるからだ。そして、こまあぷのお客さんの半分は、そうしたアナログ寄りのプレイヤーである事も事実である。
若手クリエーターの苦難
ゲームに限らず、多くのジャンルで若手クリエーターの苦難は続いている。人口の構成から、大きな市場は団塊世代~団塊Jrである事が多く、若い彼らからすると、親や祖父くらいの隔たりがある。世代を隔てた商品開発は、同世代へ向けた商品作りに比べて困難である事は想像に難しくない。
かと言って、若い世代向けにミリタリーシミュレーションの市場が成り立つかと言われれば、それはそれで敷居が大きい。およそ別のキャッチ要素や、収集や競争意識などプレイヤーのモチベーション要素を取り入れ、現在の作りとは大きく変える事が必須の条件だと考えているが、その事を現在のシミュレーションプレイヤーが望んでいるとも思い難い。こうした現実が若手クリエーターの苦難となっている。もちろんこの課題への対処は、今後も一緒に続けていく。
世代交代と技術の継承
自分も40代後半に入り現場作業から離れる事が多くなった。本来、ここいらで30代の中間管理職へシフトするべきでだが、これまでその育成を怠ってしまった為、40代と20代で現場を回すといった多くの地方企業が持つ悩みを抱えている。この面では技術力の継承が進んでいない。
従来の若手には、web上の情報を自らの経験にコピペする事を注意し、問題点への解決案を皆で講ずると、晒されたと思われて離脱される等の問題があったが、この数年はこの流れが大きく変わってきた。問題の解決策を皆で考え、分担して対処する事に抵抗が無くなってきたと感じる。
こうした思いがあって現在のチームへ技術の継承を行い、本来の目的であるアナログとデジタルの融合計画を進めたいと考えるようになった。今回はAI設計やデジタル要素の追加でモチベーションの向上を図ったが、次のステップとしては積極的に市場へのアプローチを図りたいと考えている。
2016/07/05
Designers Note
アナログかつデジタル風の見せ方に注力
今回ゲームデザイン上、最も注力したのは「アナログかつデジタル風」に見える事。これが逆で「アナログ風に見えるデジタルゲーム」だと、回顧的ユーザーしか興味を示さないと判断したのが、最大の理由である。かと言って、エフェクト等の表現を派手にした訳ではない。
野戦と攻城戦
シミュレーションの場合、システムを複雑にする事で再現性を高める事ができる。だがその一方で、これはコアユーザーのみが理解できる機能であり、多くのユーザーは難しそうという感情から離脱してしまう。この点はアナログもデジタルも、シミュレーションというジャンルが廃れていった理由とひとつだと判断しているが、今回はコアなモチーフという事で、若干の複雑さを取り入れる事にした。
従来のこまあぷでは、取手都市に侵入したら破壊か制圧というルールだった。今回、野戦と攻城戦に分ける事に踏み切った理由は、ユニット数を減らす事を目指したからである。この為、一定のステップ数の確保という点で、士気値と耐久度という概念も導入している。
指揮値と耐久度
士気値はユニットの耐久度も意味する。耐久度のMAXは5であるものの、一定のイベントで耐久度が6になる場合があり、この時戦闘値も+1となるご褒美ルールを取り入れた。よって耐久度ではなく士気値という名称である。
ご褒美ルールはデジタルならではの仕様であるが、表現としてはアナログゲームを意識している。同様の城=都市版の名称として耐久度を用いた。こちらは都市のステップ数を意味している。
登場人物と裏切り要素
薔薇戦争を表現する時の要素として重要なのは、裏切りという要素である。これは関ヶ原にも共通する要素であり、裏切り要素がない関ヶ原が楽しいかという問題と共有するだろう。
キャンペーンにのみ採用しているが、ウォリック伯やバッキンガム公の裏切り、ノーサンバランド伯の日和見、スタンリー兄弟の陣営参加などをどうとらえ、再現するかに注力してみた。
マップの切り方
マップは次の地域に分けられる。ロンドンを中心としてイングランド地方、北のスコットランドとの国境付近、西のウェールズとイングランドとの国境付近、の三つのエリアである。キャンペーンでは、ステージによりどのエリアが主戦場になるかを調整した。
ロンドンとカレー
カレーからの上陸部隊がいる場合、ロンドンの周囲が戦場となる。そうでいな場合は、北か西から攻め込まれて戦場となる。特にロンドンに所属するユニットの戦闘値を下げると、このエリアでの戦闘確率は上昇する。
また、今般の薔薇戦争ではカレーは制圧可能とした。一応、陸続きという設定にしているが、カレーの制圧はロンドンの安定化にも影響していたと判断して、制圧可能な都市とした。
スコットランドと国境付近
スコットランドは、ランカスターの出現拠点のひとつとしている。積極的な戦闘参加は行なえないものの、所属する都市を失ったユニットが再登場する拠点として、この時代を表現した。
またヨークはイングランドの北方拠点としている。ステージによって、ヨーク公やノーサンバランド伯が拠点とするる都市である。このユニットの戦闘値の上下で、移動させて戦闘に参加するか、日和見がちなユニットになるかを再現した。
ウェールズとイングランド国境
ウェールズは既に当時のイングランドに併合されており、ランカスターの影響力が強い地方である。ヨーク朝の王となっリチャード3世は、この地方の貴族たちを傘下に収めていたが、最終的にランカスター側に裏切られて敗北している。
そうしたこのエリアでは、当初から末期まで主戦場となる場合が多い。ウォリック(ステージによってはバッキンガム)とサマセット(ステージによってはグロスター)に所属するユニットのレート関係で、何処が主戦場になるかが流動するようにしている。
2016/07/04
Project Note
こまあぷ第六弾は「薔薇戦争-Wars of The Roses-」であり、ゲームデザインは谷村勝一郎。総統指令、百年戦争に引き続きサイフォン内で制作された。日本で馴染みの薄い中世欧州史・しかもイングランド史である為、見た目の変更から入る事にした。
百年戦争との連動企画
今回の「薔薇戦争-Wars of The Roses-」は、前作「百年戦争」からの連動企画として登場した。共に日本では馴染みの薄い題材であるものの、中世欧州史を展開する上で、続けてやりたかったタイトルであると言える。
百年戦争との違いは、イングランドの内乱を取り扱う為、更に小規模となる点である。更に、対立構図が一言では非常に説明し難く、共に世襲される名前と土地につく爵位が、より一層、登場する人物像の分かり難さを増すのであるが、日本で言う関ヶ原の戦いに似たこの戦いは、どうしてもタイトルに入れたかったのである。
見た目の変化と分かり難さの解消
見た目の変化としては、今回より耐久度や士気値をバー形式で表現し、よりデジタル風の見せ方にシフトした点である。これはデジタルを意識したというより、ユニットのステップ数を増す為に施した処置である。
ユニットのステップ数を増した理由は、分かり難い人物を多く出すより、登場人物を絞り、その人物名を覚えてもらう事から始めるのが良いのではないかと、こちらで判断したからである。こうして百年戦争より少ないユニット数ながら、プレイ時間は延ばすというゲームデザインを採用した。
ステージ制の踏襲と改造
百年戦争で採用したステージ制は踏襲し、3ステージ制に伸ばす事にした。更に、プレステージではまだ実装できていないが、ステージとステージの間にスクリプトステージを挿入し、簡単な説明を入れる事にしている。
日本の戦国であれば、好きなゲーマーなら何が何時起こったという歴史的事実をしている為、ゲーム内のナラティブが生じやすいが、それがないモチーフであれば、何らかの説明が必要だと感じていたからである。これらの話題は、続くデザイナーズノートやディベロップメントノートで展開したい。
2016/07/03
Historical Note
ふたつの薔薇戦争
長く続いた薔薇戦争には様々な考え方があって、リチャード2世からヘンリー4世が王位を簒奪し、テューダー朝が成立するまでの政争かひとつの考え方。そしてもうひとつは、百年戦争後にヨーク公リチャードが襲撃されてから、テューダー朝が成立するまでの武力闘争という考え方である。
そのどちらにせよ、薔薇戦争はイングランド史最大の内乱であり、この戦乱でノルマン朝以来の大貴族が没落して、時代は中世が終わり近世に進んだ。だが当時の人々は、こうなる結末を誰も予測できなかっただろう。フランスとの百年戦争と、その過程で生じた内乱により歴史は綴られていった。
そして戦乱を終わらせたチューダー朝によって、それまでの歴史には一定のバイアスが掛けられ、シェイクスピアが残した史劇によって、脚色づけられたものが今日に伝えられているのである。
エドワード3世とブラックプリンスの遺産
まずリチャード2世の悲劇は、エドワード3世とその子ブラックプリンスが産み落としたと言って良い。エドワード3世が始めた百年戦争は、ブラックプリンスがスペインまで拡大させる。そのスペインへ遠征した時に貰った病気が原因となり、父より先に亡くなってしまうのだ。落胆した父エドワード3世もその翌年に亡くなる事から、少年リチャードが王となったのである。
しかし少年王では不安定な国内はまとまらず、内乱が生じて乱れた。それを鎮めたのがヘンリー4世である。彼はエドワード3世の次男ランカスター公ジョンの子であり、リチャード2世の従兄弟であったが簒奪する形で王位を得た。だがこの事が、ランカスター家の悲劇に繋がるのであった。
百年戦争の残り火がイングランドへ引火
国内の安定化に努めたヘンリー4世亡き後、継いだヘンリー5世はフランスへ侵攻した。百年戦争の再開である。彼は破竹の勢いでフランスを蹂躙し、フランスの王位継承権第一位を得た。ところがここで急死。赤子のヘンリー6世が跡を継いだ。ヘンリー5世に次いでフランス王も亡くなった為、ヘンリー6世は赤子にして、イングランド王とフランス王を兼ねる事となったのである。
だが当然ながら、赤子に政治は無理である。ヘンリー5世の弟ベッドフォード公ジョンは、摂政となってフランス戦の指揮に当たっていた。その留守を預かるのが、更に弟のグロスター公ハンフリーであった。ところが、この二人の関係が悪化していくのである。
ジョンはフランス戦の戦費が不足し困窮するが、イングランド議会がそれを許さない。またハンフリーは兄ヘンリー5世の如く、勇名を馳せたいがジョンから拒絶される。こうした両者の思いの行き違いから、次第に対立軸が生まれるのであった。戦費に困ったジョンはフランスの領土で課税を図るものの、これが地元貴族たちの反発に繋がり、フランス戦は悪化をたどった。こうした中、ジョンも亡くなってしまうのである。
ジョンの跡を継いだのは、政務面では穏健派のサフォーク公、軍事面では主戦派のヨーク公リチャードであった。勇名を馳せたいハンフリーは、主戦派のヨーク公と関係を深めたが、フランスとの停戦を目指すサフォーク公は、主戦派のヨーク公の実権を奪っていく。こうしてフランスとの停戦が実現するのであった。
だがジャンヌダルクに敗北し、王妃となるマーガレットとの婚姻関係で圧倒的に不利な条件を飲まされた事で、人気の無いサフォーク公は暗殺されてしまう。その後を引き継いだのは、ランカスターの一族サマセット公であった。このサマセット公は、サフォーク公がヨーク公の後釜とした人物で、ヨーク公とは犬猿の仲であった。そのそのサマセット公は王妃マーガレットと結託し、反発する議会を無視した政治を続けた。
こうして王家ランカスター家と、反ランカスター家がヨーク家と結びつく構図が完成した。既に王太子を生んでいた王妃マーガレットは、勢力を拡大するヨーク公を敵視し、彼を襲撃させて武力闘争に発展させたのである。ランカスター家とヨーク家の闘争の始まりであった。
ヨーク朝の成立と続く反乱
ヨーク家が王家ランカスター家と渡り合うまでに、勢力を拡大できた理由のひとつにネヴィル家の陣営参加がある。彼らは土地の相続問題で対立するサマセット公に競り負けた事から、手を差し伸べたヨーク公の陣営に加わったのである。こうしてヨーク派が武力闘争に勝利し、ヨーク公の子エドワード4世が王となった。
王となったエドワード4世はランカスター派との融和を目指し、反乱が続く国内の安定を図ったが、反発したウォリック伯リチャードネヴィルは、元王妃マーガレットと結託して反乱を起こした。彼は殺され、彼の土地はエドワードの弟たちが分割相続したが、弟の一人ジョージが更に反乱を起こして殺された。こうして旧ランカスター派だけでなく、ヨーク派内でも反乱が続いた。エドワード4世は、帰順したランカスター派や他の大貴族たちには寛大な対応を取ったものの、裏切った者はヨーク派であれ処刑した。
そのエドワード4世が没すると、子のエドワード5世が即位するものの、エドワード4世の弟リチャードが王位を簒奪しリチャード3世となった。だが、このリチャード3世もヨーク派の粛清を続け、王位簒奪に貢献したバッキンガム公とも対立する事となった。
チューダー朝と王権集中国家の成立
反乱を起こしたバッキンガム公は討たれるものの、ランカスター家の生き残りして担ぎ出されたヘンリーが、フランスより海を渡ってリチャード3世を打ち破り、新たにヘンリー7世として王となった。こうしてチューダー朝が成立したのである。
リチャード3世の敗因については、長く続いたヨーク派の分裂と粛清で、既にヨーク派内の実力者がいなくなっており、彼の元についていた旧ランカスター派の貴族たちが、ヘンリー側へ裏切った事があげられる。またパーシー家のノーサンバランド伯が動かなかった点も上げられるが、彼はこれまでも、ずっと日和見を続けていた大貴族である。
代々北方のスコットランド対策の任を負っていた彼は、王位に興味はない代わりに、内乱時は王へ味方する事もなった。ヘンリー6世、エドワード4世、リチャード3世、ヘンリー7世と、歴代のイングランド王に臣従を誓うのみで、積極敵的に戦闘には参加してこなかったのである。今回もそうした行動でヘンリー7世に臣従するものの、次のヘンリー8世の時代にパーシー家は解体された。こうしてノルマン朝から続く大貴族はいなくなり、イングランドは王権集中国家に導かれていくのである。