源平年表
源氏の台頭から以仁王の挙兵まで
1028-1031年 平忠常の乱 |
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平将門の乱(935-940)に続く関東の大乱。甲斐守源頼信によって鎮圧され、源氏の関東進出のきっかけとなる。 |
1051-1062年 前九年の役 |
源頼義(源頼信の子)によって征討された奥州での戦い。奥州十二年合戦とも呼ばれるが、前九年の役が一般的な呼称である。 |
1083-1086年 後三年の役 |
源義家(源頼義の子)によって鎮圧されるも、朝廷からは私戦とみなされる。この後、奥州藤原氏が台頭する。 ここで義家の弟・義光も活躍しており、義家の子孫と義光の子孫が、後の源氏の活躍・繁栄の中心となる。 |
1108年 義親の反乱 |
源義親(源義家の子)が起こした反乱を平正盛(平清盛の祖父)が鎮圧し、伊勢平氏台頭のきっかけとなる。 |
1109年 義忠暗殺 |
源義忠(源義家の子)暗殺事件が発生。 黒幕は源義光とされるが、犯人は義家の弟・義綱に仕立てられ、源為義らに討たれる。源氏の内訌の始まりとなる。 |
1155年 河内源氏の内訌 |
源義賢(源義朝の兄弟)が源義平(源義朝の子)に襲撃され、討取られる。 義賢の子・仲家は摂津源氏の源頼政が育て、もう一人の子・義仲は木曾で育つ事となる。 この事件後、直ちに源頼賢(源義賢の弟)が挙兵し、命を受けた源義朝が討伐に向かうも、頼賢の軍は解散する。 |
1156年 保元の乱 |
朝廷の内紛が発生。源氏・平氏とも一族割れて戦う。平清盛と源義朝がついた勢力が勝者となる。 源氏は、前年の襲撃事件での対立構図がそのまま現れ、義朝は父・為義や他の兄弟達と対立する。合戦中の義朝と為朝とのやりとりが有名。 |
1159年 平治の乱 |
再び政変が発生。複雑な勢力構成であるが、平清盛が参加した陣営が勝利し、源義朝側は敗北する。因みに、完全に源平に分かれての戦いではない。 源義平(源義朝の子)が暴れまわる話しが有名だか、親子共討たれてしまう。源頼朝(義朝の子・当時13才)もこの時捕らわれ、伊豆に流される事となる。 |
1177年 鹿ケ谷の陰謀 |
平家打倒の計画が発覚。平家物語では摂津源氏・多田行綱が平家への密告役として登場。 |
1180年 以仁王の挙兵 |
以仁王が挙兵。摂津源氏の源頼政が呼応するも鎮圧される。 この時の令旨とされるものを新宮行家が持ち回り、平家に対する全国的な挙兵活動へ繋がっていく。 |
治承・寿永の乱(1180-1185年)
1180年 頼朝、甲斐源氏の挙兵 |
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■頼朝の挙兵 ■富士川の合戦 ■南都焼き討ち |
1181年 清盛の死と義仲の挙兵 |
■墨俣川の合戦 ■義仲の挙兵 |
1182年 全国的な飢饉 |
■養和の飢饉 |
1183年 義仲の入京 |
■倶利伽羅峠の合戦 ■義仲入京 ■水島の合戦 ■室山の合戦 ■法住寺合戦 |
1184年 頼朝軍の上洛 |
■瀬田/宇治川の合戦 ■一ノ谷の合戦 ■三日平氏の乱 |
1185年 平家の滅亡 |
■西国・九州での戦い ■屋島の合戦 ■壇ノ浦の合戦 |